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【テスト版】Web展覧会「中国近代の美人画 女性たちの物語」

     

開催日: 2022年3月1日 - 2022年4月15日

 

【展覧会概要】

中国・日本で人気の高い美人画。近代中国絵画に描かれた女性たちが紡ぐ12のストーリーをご紹介します。

 

1.改允恭「紅豆相思図」清時代後期作

改允恭「紅豆相思図」清時代後期作(クリックで全図を表示します)

今年度の観峰館の資料紹介では、所蔵品の中から、美人画を中心にご紹介していきます。

まず、中国・清時代頃の美人画について説明しますと、女性たちの美しさは「病態美(びょうたいび)」と表現されます。当時の美人画を得意とする画家たちは、健康的な女性像ではなく、細い首、撫で肩、細い腰つき、おちょぼ口といった、まるで病気を患(わずら)っているかのような女性の持つ美を追求し、そのような絵画が流行しました。

今回、ご紹介する作品は、右下方に顔を向け視線を落とし、右手の艶(つや)っぽい返し方、線の細い体の表現など、「病態美(びょうたいび)」の特徴をよく表しています。

作品名の「紅豆」は、日本では唐小豆として知られ、12月頃に花が咲き、春から初夏にかけて赤い実をつけます。女性の左手に持つ団扇は、紅豆が実をつける初夏を表わしているのでしょう。

また「相思」は、この「紅豆」の別名(相思子)で、愛する夫の帰りを待ち続けたものの、失意の内に亡くなった妻の流した血の涙が「紅豆」となったという伝承から、その別名があります。描かれた女性は、夫のことを思い続けて亡くなった妻の姿を描いており、その可憐(かれん)な姿が人びとの涙を誘います。

作者の改允恭(生卒年不詳)は、清時代後期を代表する美人画家である改琦(かいき・1774~1829)の息子で、お父さんの画風をよく引き継いでいたとされますが、作品があまり残っていません。この作品も最近になって発見されたもので、観峰館のコレクションの中にあって希少な美人画としてご注目ください。

 

▼動画でもご覧いただけます

 

2.陳崇光「馮媛当熊図」清時代後期作

陳崇光「馮媛当熊図」(クリックで全図を表示します)

中国・清時代の美人画は、「病態美」と呼ばれる表現が好まれましたが、今月号でご紹介する絵画は、たくましい女性を描いた物語です。

作品は、襲い掛かろうとする熊に対し、立ち向かおうとする女性を描いています。この物語は、作品左上の賛に詳しく書かれています。

賛文(クリックで拡大します)

それに拠ると、物語は前漢の元帝(げんてい)の時代、元帝が後宮の女性たちと共に、檻(おり)の中で猛獣が戦うショーを見物していました。突然、檻の中から熊が飛び出し、元帝たちが居る宮殿によじ登ろうとします。後宮の女性たちは恐怖のあまり逃げ出しますが、唯一、馮媛だけが熊の前に立ちはだかりました。幸い、熊は護衛の役人たちに取り押さえられたのですが、元帝は馮媛に対し、なぜ恐れず立ち向かったのかと尋ねます。すると彼女は、猛獣は人を襲えば立ち止まるもので、陛下に近付こうとしたため、私が身を差し出したのです、と答えました。それを聞いた元帝は馮媛を寵愛し、後に「昭儀(しょうぎ)」という称号を得て皇帝の后(きさき)として確たる地位を築きました。

馮媛が熊の前に立ちはだかります(クリックで拡大します)

この物語は、主君を愛する心、危機に立ち向かう勇気を象徴したものとして、とても有名なものです。そのよく知られた物語に対し、描かれた馮媛の表情は凛々しく、振り上げた右手からは、振り絞られた勇気と力強さが伝わります。立ち上がって襲い掛かろうとする熊と、それを制止しようと走りかかる役人たちの表現から、緊迫した場面描写が巧みに表現されており、画家の技術の高さが伝わります。

画家の陳崇光(1839~1896)は、江蘇省揚州の出身で、崇光という字のほか、若木(じゃくぼく)という字号も用いています。出身地である揚州で活躍し人気のあった画家で、この作品から分かるように、高い技量を備えています。

なお、賛の末尾に小さく「従」と書いているのは、一行目「後宮」「皆」の間に本来入るべき文字ですが、書き忘れたために末尾に付け足したものです。このような「失敗」さえも気にならない優れた作品です。

 

3.徐寄萍「団扇美人図」中華民国33年(1944)作

徐寄萍「団扇美人図」(クリックで全図を表示します)

今月号は、団扇を持つ美しい女性を描いた、初夏の季節にぴったりの作品です。

この作品は、これまでご紹介した中国・清時代の美人画とは趣が異なっています。特徴的なのは、目の周りに施されたお化粧や口紅のあざやかな色遣いで、右上方に視線を向ける力強い眼の表現、透明感のある肌艶は、まるで写真のような錯覚を覚えさせます。

 

賛文(クリックで拡大します)

女性のモデルについては、はっきりとは分かりません。しかしながら、賛の2句目にある「漫(みだり)に団扇を将て共に徘徊す」は、王昌齢(おうしょうれい・700?~755?)「長信秋詞(ちょうしんしゅうし)」にある句を取ったもので、この詩のモデルである班婕妤(はんしょうよ)を描いたものと考えられます。

班婕妤は中国・前漢の成帝(せいてい)の寵愛(ちょうあい)を受けましたが、やがて他の女性の恨みを買ったため、自ら長信宮(ちょうしんきゅう)という宮殿に退きました。

王昌齢の詩は、孤独な秋の夜を過ごし失恋の悲しみを嘆く班婕妤について詠んだものですが、この絵では、画家が「たまたま見つけた」春の花(おそらく藤か)を団扇に描いています。班婕妤は、悲恋を象徴する女性として多く描かれますが、秋ではなく春の花を描くことで、少しでもその悲しみを和らげてあげようとしたのでしょうか。もしかすると、女性の顔に施されたお化粧は、彼女の涙を隠すためのものかもしれません。

お化粧は彼女の涙を隠すため…?(クリックで拡大します)

画家の徐寄萍(1919~1989)は、出身地である上海において清時代末期に流行した、広告宣伝を目的とした版画の名手として知られた人物です。中華人民共和国解放前後において、女性をモデルとした広告画のほか、国内の政治動向に沿った広告画などを描きました。後に版画家として大成する画家の若かりし頃の作品で、若干25歳でありながら、卓越した技術を持っていたことがうかがえます。

 

4.楊鎔「木蘭従軍図」中華民国時代作

楊鎔「木蘭従軍図」(クリックで全図を表示します)

皆さんは、映画『ムーラン』をご覧になったことがありますでしょうか。今月号は、その主人公・ムーラン(木蘭)を描いた作品です。

「木蘭従軍」とは、文字通り、木蘭が軍に従って戦地に赴くという意味です。作品には、松の樹の立つ住居の前に居る3名の人物が描かれています。人物の後方には、川が流れています。人物のうち、右側の長槍を持ち武装した馬上の女性が木蘭です。木蘭のほか、馬の手綱(たづな)を引く強面(こわもて)の男性(戦友)、男性の左側にいる白髪の杖をつく男性が木蘭の父親でしょうか、心配そうに木蘭を見つめています。

クリックで解説スライドを表示します

物語は、木蘭という少女が、老いて病気がちの父親に代わり、男装して従軍し、異民族との戦いで活躍し、許されて帰郷するまで、誰も女性とは気付かなかったというものです。これは、中国・北宋の『楽府詩集(がふししゅう)』に収められる、「木蘭辞(もくらんのじ)」などの漢詩が元となっています。

それに拠るとこの絵の続きにあたる内容は、木蘭が従軍のため郷里を離れ、少しずつ父の呼ぶ声が聞こえなくなり、ただ黄河の流水の音だけが聞こえる遠方の地へとたどりついた寂しさや、十年の歳月で多くの戦果を挙げ、自宅へ戻って後、鎧を脱ぎ、髪を梳(と)いて化粧をして門から出た際に、同行した戦友さえもはじめて木蘭が女性であることに気付き仰天した、というものです。絵の中にある木蘭たちの後方に流れる川は黄河を描いており、この後おとずれる父との辛い別れを表現しています。

作家の楊鎔(生卒年不詳)は、字(あざな)を禹之(うし)といい、上海出身の画家です。経歴が不明な画家ですが、いくつかの作例があることから、画家としてそれなりの地位にあった人でしょう。人物の表情や衣服の描き方が緻密で、武装した木蘭もとても魅力的に描かれていますが、彼女が化粧をして着飾った姿も見てみたかったというのが正直なところです。

 

5.包畹生「王昭君図」中華民国時代作

包畹生「王昭君図」(クリックで全図を表示します)

今月号は、中国でも絶世の美女と称された、王昭君を描いた作品をご紹介します。

ここに描かれた王昭君は、整った顔立ちに俯く視線、しなやかに曲げられた体など、賛にある「冰心玉貌(ひょうしんぎょくぼう・氷のように透明な心、美しい顔)」、「綽約(とうやく・しなやかで優しい姿)」の言葉に形容される姿で描かれています。

特徴的なのは、赤い衣を頭から纏(まと)っていることと、動物の毛皮で作られた衣服を身に着けていることです。これは、賛に「朔風凛冽(さくふうりんれつ)」とあるように、彼女が北風の吹く寒さ厳しい場所にいることを示しています。

王昭君とは、中国・前漢時代の元帝(げんてい)の時代に後宮に仕えた女性です。北方の異民族・匈奴(きょうど)との外交政策において、漢の女性を嫁がせるにあたり、美女として有名であった王昭君が選ばれました。

寒さ厳しい北方の異なる民族の男性に嫁いだことから、悲劇の女性と称されます。匈奴に送る女性を選ぶ際に用いた肖像画を描かせるときに、絵師に賄賂を渡さなかったために醜く描かれ、結果、異民族に差し出されたという話や、遠い異国の地での寂しさを馬上で琵琶を弾くことで紛らわそうとしたという話など、悲劇性を高めるための挿話が多く作られました。賛にも、醜く肖像画が描かれたことや、元帝を恨みながら琵琶を弾いていたことが記されています。

作家の包畹生(生卒年不詳)は、字を徳芬(とくふん)といい、丹徒女史(たんとじょし・丹徒は出身地の江蘇省鎮江の古称)などという号を用いた女性画家です。詳しい経歴は分かっていませんが、美人画や草花を画題とした作品を多く描いています。彼女が描いた王昭君は、「名を千古(せんこ・「永遠」の意)に留む」ほどの美しさはもちろん、寂しげに俯く姿に物語の悲劇性が表されています、その表現力は、この物語に対する女性ならではの視点に拠るものかもしれません。

 

【関連出版物】

清朝の美人画~第6回特別企画展展示品図録~

 

【次回の展覧会】

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