行書銭氏私志語横披

ぎょうしょせんしししごおうひ
     

何紹基(1799~1873)は字を子貞といい、蝯叟と号した。清朝を代表する能書家で、はじめ顔真卿(709~785)を学び、のち金石の筆法を融合し、碑帖兼習の立場をとった。

本作は、何紹基(1799~1873)による各書体の学習成果が渾然一体となった楷書に近い行書作品。顔真卿書法に基づいた向勢の結体と、蔵鋒による丸みを帯びた力強い起筆を基調に、文字の大小や筆線の肥痩に変化をつける。特に「匣」「玉」の第一画目の横画や、「丈」「廷」の右払いなどに、60歳以降に始まった隷書学習の影響が見える。署款の「蝯叟」は、何紹基独自の「懸臂回腕」の運筆法にちなんで、56歳から使い始めたもの。書風や署款の風格からも、60代半ば頃の作品と考えられる。

本文は、北宋から南宋にかけての朝野の遺事を集めた『銭氏私志』から、徽宗(1082~1135)が米芾(1051~1107)を召して揮毫させるのに、「二丈四方の絹・瑪瑙の硯・李廷珪の墨・象牙の筆・金の文箱・玉の文鎮」といった最高の文房具を用意させたという故事を引用したもの。文房具は、文人にとって欠かせないツールであることを象徴する故事であろう。

                                               
作品名行書銭氏私志語横披
ふりがなぎょうしょせんしししごおうひ
作者何紹基
国名中国
制作年清時代後期 同治年間(1860年代)頃
寸法48.0×171.0cm
目録番号4A-2431
釈文於瑶林 殿張絹 図方広 二丈許 陳瑪瑙 硯李廷 珪墨牙 管筆金 匣玉鎮 召米書 之 栗農属書 蝯叟

何紹基(1799~1873)は字を子貞といい、蝯叟と号した。清朝を代表する能書家で、はじめ顔真卿(709~785)を学び、のち金石の筆法を融合し、碑帖兼習の立場をとった。

本作は、何紹基(1799~1873)による各書体の学習成果が渾然一体となった楷書に近い行書作品。顔真卿書法に基づいた向勢の結体と、蔵鋒による丸みを帯びた力強い起筆を基調に、文字の大小や筆線の肥痩に変化をつける。特に「匣」「玉」の第一画目の横画や、「丈」「廷」の右払いなどに、60歳以降に始まった隷書学習の影響が見える。署款の「蝯叟」は、何紹基独自の「懸臂回腕」の運筆法にちなんで、56歳から使い始めたもの。書風や署款の風格からも、60代半ば頃の作品と考えられる。

本文は、北宋から南宋にかけての朝野の遺事を集めた『銭氏私志』から、徽宗(1082~1135)が米芾(1051~1107)を召して揮毫させるのに、「二丈四方の絹・瑪瑙の硯・李廷珪の墨・象牙の筆・金の文箱・玉の文鎮」といった最高の文房具を用意させたという故事を引用したもの。文房具は、文人にとって欠かせないツールであることを象徴する故事であろう。

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