行書横披

潘祖蔭(1830~1890)は字を伯寅という。呉大澂(1835~1902)と同じく、清末を代表する高級官僚にして金石学の第一人者である。博学広文で書を善くした。 本作にある「綴遺斎」とは、『綴遺斎彝器考釈』の著者で、やは […]

       

行書軸

潘祖蔭(1830~1890)、字は伯寅。江蘇呉県(蘇州)の人。咸豊2年(1852)の進士。官は工部尚書に至る。当時北京で勢力を持った翁同龢(1830~1904)と並称され、また呉大澂(1835~1902)と同じく、清末を […]

       

行書八言対聯

張謇(1853~1926)は字を季直といい、嗇庵と号した。科挙に主席合格し、清末の国家危機に当たっては、紡績業などを興して実業救国をはかるとともに、各種学校を創設した。辛亥革命後は政界に参画したが、ほどなく下野し、企業経 […]

       

楷書十二言対聯

沈衛(1862~1945)、字は友霍、号は淇泉。晩年は兼巣老人と号した。また紅豆館主と署した。浙江嘉興の人。光緒16年(1890)の進士。官は翰林編集・陜西学政などを務めた。詩文・書法を善くした。晩清民国期の翰苑の巨擘と […]

       

行書六言対聯

字を用いた胡公寿(ここうじゅ 1823~1886)のほうが有名かもしれません。清時代後期に活躍した人です。詩書画ともに善くし、観峰館にも山水画、花卉画など多くの作品があります。 この作品は、洒脱味のある自然な書風が心地好 […]

       

行書七言対聯

華世奎は清・同治2年~民国30年(1863~1941)字は啓臣、天津の人です。幼い頃から書の研鑽を積み、天津随一の書家と称されました。清末の高官を歴任し、民国成立後も清の遺民として終生弁髪を切らなかったといいます。顔真卿 […]

       

楷書八言対聯

華世奎(1863~1941)は、字は啓臣、璧臣と号した。元、江蘇省無錫の人。天津に居した。幼くして書の研鑽を積み、天津随一の書家と称されるようになる。高官を歴任し、民国成立後も清の遺民として終生弁髪を切らなかったという逸 […]

KAMPO MUSEUM IN SHIGA ©︎ All Rights Reserved