呉大澂(1835~1902)は字を清卿といい、愙斎と号しました。清末の高級官僚にして文字学・金石学の大家です。書は篆籀を得意とし、収蔵に富んでいました。
本作に金文で揮毫された「鋳古盦」とは、清末の金石学者であり、収蔵家であった奚世栄(字は子欣・1864~?)の斎堂名です。両者の交流は詳らかではありませんが、「姻大兄」とあることから、姻戚関係があったようです。恐らく金石学という接点から、呉大澂に斎堂名の揮毫を求めたのでしょう。非常に興味深い資料です。
呉大澂(1835~1902)は字を清卿といい、愙斎と号しました。清末の高級官僚にして文字学・金石学の大家です。書は篆籀を得意とし、収蔵に富んでいました。
本作に金文で揮毫された「鋳古盦」とは、清末の金石学者であり、収蔵家であった奚世栄(字は子欣・1864~?)の斎堂名です。両者の交流は詳らかではありませんが、「姻大兄」とあることから、姻戚関係があったようです。恐らく金石学という接点から、呉大澂に斎堂名の揮毫を求めたのでしょう。非常に興味深い資料です。
| 作品名 | 篆書横披 |
| ふりがな | てんしょおうひ |
| 作者 | 呉大澂 |
| 国名 | 中国 |
| 制作年 | 清時代後期 |
| 寸法 | 36.9×101.6cm |
| 目録番号 | 4A-4134 |
| 釈文 | 鋳古盦 子欣姻大兄 索書 呉大澂 |
呉大澂(1835~1902)は字を清卿といい、愙斎と号しました。清末の高級官僚にして文字学・金石学の大家です。書は篆籀を得意とし、収蔵に富んでいました。
本作に金文で揮毫された「鋳古盦」とは、清末の金石学者であり、収蔵家であった奚世栄(字は子欣・1864~?)の斎堂名です。両者の交流は詳らかではありませんが、「姻大兄」とあることから、姻戚関係があったようです。恐らく金石学という接点から、呉大澂に斎堂名の揮毫を求めたのでしょう。非常に興味深い資料です。