何紹基(1799~1873)、字は子貞、東洲または袁叟と号した。湖南道州の人。道光16年(1836)の進士。官は四川学政に至る。書は家学である顔真卿(709~785)を宗とし、金石碑版を広く学んだ。
本作は、何紹基最盛期の行書作品。清の学者・孫承沢(1592~1676)が自蔵の書画、碑版について考証論評した『庚子銷夏記』の一節を書したもの。「懸臂回腕」の運筆を自在に操り、逆入による起筆の力強さや、重厚な太い線と繊細な細い線の対比が強調される。北派を思わせる引き締まった筆線や、うねりをともないつつ水平を維持する隷書の筆意が混在し、連綿の線は、筆を離すのを惜しむように力が持続する。配字においても、文字の大小に変化をつけ、処々に足の長い縦画をまじえて行の流れと空間を演出する。いずれを見ても、何紹基学書の集大成と評して申し分ない作品。60代後半から70代の作品と考えられる。
【参考文献】
塚本祐士「観峰館収蔵の何紹基の書について」(『観峰館紀要』第2号、公益財団法人日本習字教育財団観峰館、2006年)
観峰館紀要 第2号
作品名 | 行書孫承沢庚子銷夏記語四屏 |
ふりがな | ぎょうしょそんしょうたくこうししょうかきごしへい |
作者 | 何紹基 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 同治年間(1860年代)頃 |
寸法 | 各164.7×44.0cm |
目録番号 | 4A-0413 |
釈文 | 真定府有龍興寺隋人所書碑 方整有致為唐初緒人先鋒可存 也至碑立於開皇六年斉巳久滅 而張公禮猶称斉官書者不以為 嫌當時亦不之禁此皆尚有古道尤可 紀也廟堂碑為虞永興得意書 貞観四年刻成進墨本賜以王 義之所佩右将軍会稽内史黄 銀印當時車馬填集碑下氈搨 虚日故未久而壊五代王彦超翻 刻之止存其郛廓耳此本珠圓玉 栗神采照朗信為千秋至寶 何紹基 |
何紹基(1799~1873)、字は子貞、東洲または袁叟と号した。湖南道州の人。道光16年(1836)の進士。官は四川学政に至る。書は家学である顔真卿(709~785)を宗とし、金石碑版を広く学んだ。
本作は、何紹基最盛期の行書作品。清の学者・孫承沢(1592~1676)が自蔵の書画、碑版について考証論評した『庚子銷夏記』の一節を書したもの。「懸臂回腕」の運筆を自在に操り、逆入による起筆の力強さや、重厚な太い線と繊細な細い線の対比が強調される。北派を思わせる引き締まった筆線や、うねりをともないつつ水平を維持する隷書の筆意が混在し、連綿の線は、筆を離すのを惜しむように力が持続する。配字においても、文字の大小に変化をつけ、処々に足の長い縦画をまじえて行の流れと空間を演出する。いずれを見ても、何紹基学書の集大成と評して申し分ない作品。60代後半から70代の作品と考えられる。
【参考文献】
塚本祐士「観峰館収蔵の何紹基の書について」(『観峰館紀要』第2号、公益財団法人日本習字教育財団観峰館、2006年)
観峰館紀要 第2号