奈良朝瓦硯

ならちょうがけん
     

本誌4月号では、銅雀台(どうじゃくだい)瓦硯を取り上げましたが、今月号は、日本の瓦硯をご紹介します。
この硯の名前である「奈良朝瓦硯」とは、元の所蔵者の命名によるものです。「奈良朝」とは都を平城宮に定めたいわゆる「奈良時代」のことで、およそ八世紀前半から末年頃までの時代を指します。その形は円形で、軒先に用いる丸瓦である軒丸瓦の先端部分を転用したものと思われます。墨堂は水平で凹凸がほとんどなく、落潮(らくちょう)から墨池にかけての落差は少なく、墨池も深くはありません。紋様は、硯縁上部中央に牡丹が刻まれ、両側に蔓が伸びた様子を表わしています。
日本で、軒丸瓦が使われるようになったのは飛鳥時代で、百済(くだら)より「瓦博士」を招聘(しょうへい)して製作されました。当初は、寺院建築に限られていましたが、藤原宮以降は宮殿建築にも用いられるようになり、その紋様は単弁・複弁蓮華文が主流でした。また、古代日本の硯といえば陶硯が主であり、奈良時代に瓦硯が出土した例はほとんど確認できません。僅かに、奈良時代に製作された大宰府式鬼瓦を転用した瓦硯がありますが、奈良時代に使用されたかどうかは不詳です。
従って、観峰館所蔵のこの瓦硯は、奈良時代の瓦を転用した硯ではないと思われます。しかしながら、上品な紋様であること、所々に朱が残存していること、裏面に僅かに「圓」「寺」と朱で書かれた文字が確認できることなどから考えて、後世、奈良・平城宮地域の寺院の瓦を使用した転用硯と考えられるのではないでしょうか…ロマンを感じる逸品です。(教師月報 2019年10月号)

 

                                           
作品名奈良朝瓦硯
ふりがなならちょうがけん
作者不詳
国名日本
制作年不詳
寸法14.2×13.8×1.8cm
目録番号NO.119

本誌4月号では、銅雀台(どうじゃくだい)瓦硯を取り上げましたが、今月号は、日本の瓦硯をご紹介します。
この硯の名前である「奈良朝瓦硯」とは、元の所蔵者の命名によるものです。「奈良朝」とは都を平城宮に定めたいわゆる「奈良時代」のことで、およそ八世紀前半から末年頃までの時代を指します。その形は円形で、軒先に用いる丸瓦である軒丸瓦の先端部分を転用したものと思われます。墨堂は水平で凹凸がほとんどなく、落潮(らくちょう)から墨池にかけての落差は少なく、墨池も深くはありません。紋様は、硯縁上部中央に牡丹が刻まれ、両側に蔓が伸びた様子を表わしています。
日本で、軒丸瓦が使われるようになったのは飛鳥時代で、百済(くだら)より「瓦博士」を招聘(しょうへい)して製作されました。当初は、寺院建築に限られていましたが、藤原宮以降は宮殿建築にも用いられるようになり、その紋様は単弁・複弁蓮華文が主流でした。また、古代日本の硯といえば陶硯が主であり、奈良時代に瓦硯が出土した例はほとんど確認できません。僅かに、奈良時代に製作された大宰府式鬼瓦を転用した瓦硯がありますが、奈良時代に使用されたかどうかは不詳です。
従って、観峰館所蔵のこの瓦硯は、奈良時代の瓦を転用した硯ではないと思われます。しかしながら、上品な紋様であること、所々に朱が残存していること、裏面に僅かに「圓」「寺」と朱で書かれた文字が確認できることなどから考えて、後世、奈良・平城宮地域の寺院の瓦を使用した転用硯と考えられるのではないでしょうか…ロマンを感じる逸品です。(教師月報 2019年10月号)

 

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