狄葆賢(1872~1942頃)は字を楚青といい、平子と号した。康有為(1858~1927)らの変法運動を支持したが、戊戌政変で日本へ亡命、帰国後上海で『時報』を創刊し新聞業へ。また書・画・碑帖の優品を影印して出版し、書画学習者に貢献した。自身も書画の鑑別をよくし、書は二王をはじめ顔真卿(709~785)などを学んだ。遺墨は跋文などの小字が多いが、本作は大幅の作例で、筆画が奔放で躍動感に富む。
作品名 | 行書七言対聯 |
ふりがな | ぎょうしょしちごんついれん |
作者 | 狄平子(狄葆賢) |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国20年(1931)以降 |
寸法 | 各131.8×32.5cm |
目録番号 | 5A-0343 |
釈文 | 野寺石泉秋煮茗 松窗雪屋夜論詩 溧陽狄平子 |
狄葆賢(1872~1942頃)は字を楚青といい、平子と号した。康有為(1858~1927)らの変法運動を支持したが、戊戌政変で日本へ亡命、帰国後上海で『時報』を創刊し新聞業へ。また書・画・碑帖の優品を影印して出版し、書画学習者に貢献した。自身も書画の鑑別をよくし、書は二王をはじめ顔真卿(709~785)などを学んだ。遺墨は跋文などの小字が多いが、本作は大幅の作例で、筆画が奔放で躍動感に富む。