陳年(1876~1970)は字を静山・静廬といい、半丁などと号した。上海で呉昌碩の家に寄宿して書・画・篆刻を学び、北京に移住してからは陳衡恪などと交わった。その後芸術学校の国画教授となり、北京画壇の大家と目されたが、文化大革命で迫害を受け死去した。その絵画は花卉・花鳥を得意としたが、師の呉昌碩にくらべてやや柔和である。本作は柏(百と音通)と長春花(コウシンバラ)組み合わせた吉祥画である。
作品名 | 百子長春図 |
ふりがな | ひゃくしちょうしゅんず |
作者 | 陳年 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国15年(1926) |
寸法 | 82.7×49.7cm |
目録番号 | 4b-0190 |
釈文 | 百子長春 丙寅正月為 勤襄仁兄文郎 弥月之春陳年 |
陳年(1876~1970)は字を静山・静廬といい、半丁などと号した。上海で呉昌碩の家に寄宿して書・画・篆刻を学び、北京に移住してからは陳衡恪などと交わった。その後芸術学校の国画教授となり、北京画壇の大家と目されたが、文化大革命で迫害を受け死去した。その絵画は花卉・花鳥を得意としたが、師の呉昌碩にくらべてやや柔和である。本作は柏(百と音通)と長春花(コウシンバラ)組み合わせた吉祥画である。