臨顔真卿巻

りんがんしんけいかん
     

この巻子は顔真卿(709~785)の《争坐位帖》を全て臨書したあと、《大唐中興頌》を臨書したものです。全長は10mを超えます(図版は巻頭部分)。

《争坐位帖》は《争坐位文稿》とも呼ばれ、《祭姪文稿》・《祭伯文稿》とともに「三稿」に数えられる作品です。郭英乂(?~766)に送る手紙の草稿で、英乂が席次を乱したことに対して抗議した内容を記しています。草稿であるため気負いがなく、顔真卿の平生、どのような書きぶりであったかをうかがうことができると評されます。

《大唐中興頌》の臨書部分

《大唐中興頌》は、安禄山の乱や史思明の乱を鎮め、唐王朝が再び盛んになったことを讃えた石碑です。元結(723~772)が文を作り、顔真卿63歳の時に揮毫しました。

作者の何紹祺(1801~1868)は、清時代の著名な書家・何紹基(1799~1873)の2歳年下の弟です。彼らの父である何凌漢(1772~1840)は家が貧しかったのですが、勉学に励み進士及第し、最後は戸部尚書(財務大臣)にまで昇進しました。

彼らはもともと学問をする「読書人」の家系で、兄弟とも顔真卿の書法「顔法」をよく学びました。

筆先を紙面につきたてるような筆法は、顔真卿の書が持つ力強さをよく表現しています。

                                           
作品名臨顔真卿巻
ふりがなりんがんしんけいかん
作者何紹祺
国名中国
制作年清時代後期 道光29年(1849)
寸法33.2×1212.0cm
目録番号巻-書-015

この巻子は顔真卿(709~785)の《争坐位帖》を全て臨書したあと、《大唐中興頌》を臨書したものです。全長は10mを超えます(図版は巻頭部分)。

《争坐位帖》は《争坐位文稿》とも呼ばれ、《祭姪文稿》・《祭伯文稿》とともに「三稿」に数えられる作品です。郭英乂(?~766)に送る手紙の草稿で、英乂が席次を乱したことに対して抗議した内容を記しています。草稿であるため気負いがなく、顔真卿の平生、どのような書きぶりであったかをうかがうことができると評されます。

《大唐中興頌》の臨書部分

《大唐中興頌》は、安禄山の乱や史思明の乱を鎮め、唐王朝が再び盛んになったことを讃えた石碑です。元結(723~772)が文を作り、顔真卿63歳の時に揮毫しました。

作者の何紹祺(1801~1868)は、清時代の著名な書家・何紹基(1799~1873)の2歳年下の弟です。彼らの父である何凌漢(1772~1840)は家が貧しかったのですが、勉学に励み進士及第し、最後は戸部尚書(財務大臣)にまで昇進しました。

彼らはもともと学問をする「読書人」の家系で、兄弟とも顔真卿の書法「顔法」をよく学びました。

筆先を紙面につきたてるような筆法は、顔真卿の書が持つ力強さをよく表現しています。

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