羅漢図

らかんず
     

呂鳳子(1885~1959)は名を濬といい、字の鳳子で通る。はじめ官界を目指すが、科挙制度の廃止によって美術専攻に転じ、李瑞清に師事して才能を認められる。その後民国時代から解放後にかけて美術教授を歴任し、美術団体に参与した。美術界の後進養成に尽力し、劉海粟・徐悲鴻らは弟子である。その絵画は人物・山水・花鳥などいずれもよくしたが、本作のような羅漢図をもっとも得意とした。

                                               
作品名羅漢図
ふりがならかんず
作者呂鳳子
国名中国
制作年中華民国
寸法116.7×58.9cm
目録番号4b-0506
釈文鳳光生

呂鳳子(1885~1959)は名を濬といい、字の鳳子で通る。はじめ官界を目指すが、科挙制度の廃止によって美術専攻に転じ、李瑞清に師事して才能を認められる。その後民国時代から解放後にかけて美術教授を歴任し、美術団体に参与した。美術界の後進養成に尽力し、劉海粟・徐悲鴻らは弟子である。その絵画は人物・山水・花鳥などいずれもよくしたが、本作のような羅漢図をもっとも得意とした。

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