西狭頌、後漢・建寧4年(171)刻。この刻は漢代摩崖刻の代表的なもので、書法は渾穆(こんぼく=湧き出るようで柔らかなさま)で古びており、その伸びやかさが特徴とされます。漢中から蜀へ通じる路を開いた功績をたたえた文で、この刻の右側には、瑞兆を表す五つの図像があり「五瑞図」と呼ばれ、その題記もまた同一人の書とみなされています。
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西狭頌、後漢・建寧4年(171)刻。この刻は漢代摩崖刻の代表的なもので、書法は渾穆(こんぼく=湧き出るようで柔らかなさま)で古びており、その伸びやかさが特徴とされます。漢中から蜀へ通じる路を開いた功績をたたえた文で、この刻の右側には、瑞兆を表す五つの図像があり「五瑞図」と呼ばれ、その題記もまた同一人の書とみなされています。
作品名 | 西狹頌 |
ふりがな | せいきょうしょう |
作者 | 不詳 |
国名 | 中国 |
制作年 | 後漢時代 建寧4年(171)刻 |
寸法 | 157.5×208.0cm |
目録番号 | 拓整ー0009 |
西狭頌、後漢・建寧4年(171)刻。この刻は漢代摩崖刻の代表的なもので、書法は渾穆(こんぼく=湧き出るようで柔らかなさま)で古びており、その伸びやかさが特徴とされます。漢中から蜀へ通じる路を開いた功績をたたえた文で、この刻の右側には、瑞兆を表す五つの図像があり「五瑞図」と呼ばれ、その題記もまた同一人の書とみなされています。