前近代中国において官僚となる人は、科挙という登用試験に合格しなければなりませんでした。科挙は、古典の知識や文章力などが問われ、競争率数百倍におよぶ超難関試験である一方、筆記試験であることから、答案に書かれる文字の姿も重要な合否基準となっていました。そのため、受験者は「館閣体」と呼ばれる朝廷の公式な標準書体を学ぶ必要がありました。今回紹介する作家も、そのような科挙に挑み、合格した経歴の持ち主です。
沈衛（1862～1945）は、字友霍、号を淇泉といい、浙江の人で、光緒16年（1890）に科挙の合格者である進士となりました。合格後は、選ばれた者しか入れない皇帝直属の秘書室ともいえる翰林院へ進んだことから、相当優秀であったことがうかがえます。沈衛は書や詩文にすぐれましたが、清朝が崩壊した後は、上海で書を売って生活したそうです。
では、今回の作品を見てみましょう。マス目の施された料紙に小粒の楷書で整然と揮毫されています。内容は、南宋の詩人である姜夔（1155～1221）作の「除夜自石湖帰苕溪（じょやせきこよりちょうけいにかえる）」で、江南の年末年始の風情を詠んだものです。謹厳無比ともいえるその文字は、初唐の楷書を基礎に顔真卿（709～785）の風合いを交えた感があり、字形は正方形に近く、筆線は精緻ながらも優美さを備え、見やすさ・美しさを兼ね備えた「館閣体」の典型ともいえるものです。
沈衛はこのような書を、科挙受験に不可欠な技術として徹底的に身に付けたのでしょう。ただ、本人は款記に「久しく楷書を書いていないので、鈍って思うように書けない」と記していますが、作品を見る限り、謙遜としか思えない仕上がりとなっています。（漢字部 資料紹介 2022年7月号）
| 作品名 | 楷書姜夔除夜自石湖帰苕溪詩軸 |
| ふりがな | かいしょきょうきじょやじせきこきちょうけいしじく |
| 作者 | 沈衛 |
| 国名 | 中国 |
| 制作年 | 民国12年（1923） |
| 寸法 | ９８．０×４８．５ｃｍ |
| 目録番号 | 4A-1713 |
| 釈文 | 細草穿沙雪半消呉宮煙冷水迢迢梅花竹裏無人見一夜吹 香過石橋美人台上昔歓娱今日空台望五湖残雪未融青草 萎苦無麋鹿过姑蘇黄帽伝呼睡不成投篙细细激流冰分明 旧泊江南岸舟尾春風飐客灯千門列炬散林鴉児女相思未 到家応是不眠非守歳小窓春色入灯花三生定是陸天随又 向呉松作客帰已拚新年舟上過倩人和雪洗征衣沙尾風廻 一櫂寒、椒花今夕不登盤百年草草都如此自琢春詞剪烛看 笠澤茫茫雁影微玉峰重叠護雲衣長橋寂寞春寒夜只有詩 人一舸帰桑間篝火却宜蚕風土相伝我未諳但得明年少行 役只裁白纻作春衫少小知名翰墨場十年心事只凄凉旧時 曽作梅花賦研墨於今亦自香環玦随波冷未銷古苔留雪卧 墙腰誰家玉笛吹春怨看見鵝黄上柳条 癸亥歳莫偶録白石道人除夜自石湖帰苕溪十絶句久不作楷觸処皆非誠所謂三日不弾手生荊棘耳
兼巣居士沈衛并識 |
前近代中国において官僚となる人は、科挙という登用試験に合格しなければなりませんでした。科挙は、古典の知識や文章力などが問われ、競争率数百倍におよぶ超難関試験である一方、筆記試験であることから、答案に書かれる文字の姿も重要な合否基準となっていました。そのため、受験者は「館閣体」と呼ばれる朝廷の公式な標準書体を学ぶ必要がありました。今回紹介する作家も、そのような科挙に挑み、合格した経歴の持ち主です。
沈衛（1862～1945）は、字友霍、号を淇泉といい、浙江の人で、光緒16年（1890）に科挙の合格者である進士となりました。合格後は、選ばれた者しか入れない皇帝直属の秘書室ともいえる翰林院へ進んだことから、相当優秀であったことがうかがえます。沈衛は書や詩文にすぐれましたが、清朝が崩壊した後は、上海で書を売って生活したそうです。
では、今回の作品を見てみましょう。マス目の施された料紙に小粒の楷書で整然と揮毫されています。内容は、南宋の詩人である姜夔（1155～1221）作の「除夜自石湖帰苕溪（じょやせきこよりちょうけいにかえる）」で、江南の年末年始の風情を詠んだものです。謹厳無比ともいえるその文字は、初唐の楷書を基礎に顔真卿（709～785）の風合いを交えた感があり、字形は正方形に近く、筆線は精緻ながらも優美さを備え、見やすさ・美しさを兼ね備えた「館閣体」の典型ともいえるものです。
沈衛はこのような書を、科挙受験に不可欠な技術として徹底的に身に付けたのでしょう。ただ、本人は款記に「久しく楷書を書いていないので、鈍って思うように書けない」と記していますが、作品を見る限り、謙遜としか思えない仕上がりとなっています。（漢字部 資料紹介 2022年7月号）
