新百人一首

しんひゃくにんいっしゅ
     

新百人一首は、室町幕府第9代将軍足利義尚撰による私撰和歌集。文明15年(1483)10月に成立。この新百人一首は、藤原定家撰の小倉百人一首に漏れた著名な歌人の歌を、勅撰和歌集から百首選定したものである。ただし、91首目の「従二位成忠女」は、小倉百人一首の「儀同三司母」と同一人物(高階貴子)であるというミスが起こっている。また、79首目の歌は恵子内親王の歌となっているが、実際には徽子女王の歌である。
作者の橘 千蔭(1753~1808)は加藤千蔭ともいい、江戸中・後期の歌人、国学者である。その和歌は村田春海と並び称され、彼らおよびその門下を「江戸派」と呼ぶほどの勢力を持った。
この作品は、千蔭の自跋と、親交のあった村田春海の跋があり、当館所蔵本は無刊記であるが、他館所蔵本より、万笈堂より出版されたことが分かる。また、明治24年(1889)には、博文堂より改版され出版されている(当館所蔵本は、KOH-0008)。

橘 千蔭跋(左)

                                           
作品名新百人一首
ふりがなしんひゃくにんいっしゅ
作者橘千蔭
国名日本
制作年享和2年(1802)
寸法27.0×18.0cm
目録番号WHI-0004

新百人一首は、室町幕府第9代将軍足利義尚撰による私撰和歌集。文明15年(1483)10月に成立。この新百人一首は、藤原定家撰の小倉百人一首に漏れた著名な歌人の歌を、勅撰和歌集から百首選定したものである。ただし、91首目の「従二位成忠女」は、小倉百人一首の「儀同三司母」と同一人物(高階貴子)であるというミスが起こっている。また、79首目の歌は恵子内親王の歌となっているが、実際には徽子女王の歌である。
作者の橘 千蔭(1753~1808)は加藤千蔭ともいい、江戸中・後期の歌人、国学者である。その和歌は村田春海と並び称され、彼らおよびその門下を「江戸派」と呼ぶほどの勢力を持った。
この作品は、千蔭の自跋と、親交のあった村田春海の跋があり、当館所蔵本は無刊記であるが、他館所蔵本より、万笈堂より出版されたことが分かる。また、明治24年(1889)には、博文堂より改版され出版されている(当館所蔵本は、KOH-0008)。

橘 千蔭跋(左)

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