屈兆麟(1866?~?)は、字を仁甫といい、北京の人。清朝宮廷の如意館で宮廷画家として仕え、慈禧皇后(1835~1908)の代筆を務めた。1924年、民国政府の命により、溥儀が紫禁城を追われると、民間に下り、売画生活を送ったという。彼の生卒年を1866~1937とするものもある。
本作は、中央に松の大木を描き、十数羽の鶴を描いた吉祥画。写実的な描写方法から宮廷画家としての素地を思わせるが、款記や用印などから考えると、紫禁城を出た1924年以後に描かれたものかもしれない。
作品名 | 松寿図 |
ふりがな | しょうじゅず |
作者 | 屈兆麟 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清末~民国 |
寸法 | 137.3×53.5cm |
目録番号 | 5a-0379 |
釈文 | 松寿 畯父仁兄雅令 仁甫屈兆麟 |
屈兆麟(1866?~?)は、字を仁甫といい、北京の人。清朝宮廷の如意館で宮廷画家として仕え、慈禧皇后(1835~1908)の代筆を務めた。1924年、民国政府の命により、溥儀が紫禁城を追われると、民間に下り、売画生活を送ったという。彼の生卒年を1866~1937とするものもある。
本作は、中央に松の大木を描き、十数羽の鶴を描いた吉祥画。写実的な描写方法から宮廷画家としての素地を思わせるが、款記や用印などから考えると、紫禁城を出た1924年以後に描かれたものかもしれない。