楊葆光(1830~1912)は字を古醞といい、蘇盦と号した。役人を辞したのち、上海で売画生活を送った。書・画ともに善くした。
本作にある「蕉廉居」は、清後期の蔵書家である銭熙輔(号は鼎卿・生卒年不詳)の住居名のようです。跋文によると、太平天国の乱に遭遇し、上海の家と蔵書を焼かれた彼は、流転の末に楊葆光のもとに身を寄せて、仮住まいに「蕉廉居」と名付けました。不遇により達観した心境と、粗末な住まいの様子がその名から窺えます。
楊葆光(1830~1912)は字を古醞といい、蘇盦と号した。役人を辞したのち、上海で売画生活を送った。書・画ともに善くした。
本作にある「蕉廉居」は、清後期の蔵書家である銭熙輔(号は鼎卿・生卒年不詳)の住居名のようです。跋文によると、太平天国の乱に遭遇し、上海の家と蔵書を焼かれた彼は、流転の末に楊葆光のもとに身を寄せて、仮住まいに「蕉廉居」と名付けました。不遇により達観した心境と、粗末な住まいの様子がその名から窺えます。
作品名 | 行書横披 |
ふりがな | ぎょうしょおうひ |
作者 | 楊葆光 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 同治3年(1864) |
寸法 | 32.0×126.0cm |
目録番号 | 4A-2330 |
釈文 | 蕉廉居 予家故華亭籍自華析為婁 又析為奉賢而婁亦析其半為 金山国初六世祖由奉之泰日 橋遷秦望山之南遂著籍金 山焉咸豊庚申郡城不守 越明年淛西之平乍相断淪陥 秦山離淅界不四五里烽火四起 避之浦東凡五遷而至滬上転徙 流離如夢如幻今幸重覩昇平 而敝廬已為瓦礫回思昔日釣 遊邈不可得夢也幻也予又 烏能測其所止耶同治甲子 孟陬萍住老人鼎卿自識/鼎卿婣伯丁離乱之年作達観 之想取於斉物安我蘧廬以 蕉廉名其居属葆光繕之鄙 人兵火餘生亦有此想欣然捉 筆又豈知魚之楽耶 古醞姪楊葆光跋 |
楊葆光(1830~1912)は字を古醞といい、蘇盦と号した。役人を辞したのち、上海で売画生活を送った。書・画ともに善くした。
本作にある「蕉廉居」は、清後期の蔵書家である銭熙輔(号は鼎卿・生卒年不詳)の住居名のようです。跋文によると、太平天国の乱に遭遇し、上海の家と蔵書を焼かれた彼は、流転の末に楊葆光のもとに身を寄せて、仮住まいに「蕉廉居」と名付けました。不遇により達観した心境と、粗末な住まいの様子がその名から窺えます。