清時代末の4人の書家が寄せ書きした作品です。属書(書を送った相手)はいずれも「子詵」となっていますが、いかなる人物か詳細は不明ですが、それぞれが得意の書体で筆を振るっています。右端の『李陽冰の三墳記』を書いているのは、11月号で紹介した馮桂芬(1809~1874)です。中央下段は文徴明の『臨後赤壁賦』の一節を殷兆鏞(1806~1883)が隷書で書き、沈景脩(1835~1899)は王澍の『虚舟題跋』の一節を楷書で書し、最後の陶模(1835~1902)は『孫過庭・書譜』の一段を書いています。
馮桂芬と殷兆鏞は3歳違いで、二人とも江蘇呉県(蘇州)の出身です。また2人とも1840年同時に進士及第し、清末の官僚として国政に携わり功績を残しています。
また沈景脩と陶模も、ともに浙江秀水(寧波)出身で、三年違いで進士となっています。2組の進士は約25歳年齢が離れていますが、世代を超えた文人の繋がる鍵を「子詵八姻兄大人」が持っているのかもしれません。文人の交わりが垣間見える作品です。(漢字部 資料紹介 2016年12月号)
作品名 | 合作書法扇面 |
ふりがな | がっさくしょほうせんめん |
作者 | 馮桂芬/沈景修/殷兆鏞/陶模 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 1870年頃 |
寸法 | 17.6×52.3cm |
目録番号 | 2F-0014-2 |
清時代末の4人の書家が寄せ書きした作品です。属書(書を送った相手)はいずれも「子詵」となっていますが、いかなる人物か詳細は不明ですが、それぞれが得意の書体で筆を振るっています。右端の『李陽冰の三墳記』を書いているのは、11月号で紹介した馮桂芬(1809~1874)です。中央下段は文徴明の『臨後赤壁賦』の一節を殷兆鏞(1806~1883)が隷書で書き、沈景脩(1835~1899)は王澍の『虚舟題跋』の一節を楷書で書し、最後の陶模(1835~1902)は『孫過庭・書譜』の一段を書いています。
馮桂芬と殷兆鏞は3歳違いで、二人とも江蘇呉県(蘇州)の出身です。また2人とも1840年同時に進士及第し、清末の官僚として国政に携わり功績を残しています。
また沈景脩と陶模も、ともに浙江秀水(寧波)出身で、三年違いで進士となっています。2組の進士は約25歳年齢が離れていますが、世代を超えた文人の繋がる鍵を「子詵八姻兄大人」が持っているのかもしれません。文人の交わりが垣間見える作品です。(漢字部 資料紹介 2016年12月号)