文政8年(1826)初版のこの作品は、木村明啓が編輯し、暁 鐘成が挿絵を描き、和田正兵衛が文字を描いた「庭訓往来」です。実は、木村明啓は暁 鐘成(1793~1861)の本名で、編輯と挿絵は、同一人物によるものです。
文字を書いた和田正兵衛(生卒年不詳)の経歴は分かっていませんが、御家流を得意としていたようです。江戸後期にいくつかの出版に携わっており、寺子屋師匠というよりは、「職業書家」であったかもしれません。
文政8年(1826)初版のこの作品は、木村明啓が編輯し、暁 鐘成が挿絵を描き、和田正兵衛が文字を描いた「庭訓往来」です。実は、木村明啓は暁 鐘成(1793~1861)の本名で、編輯と挿絵は、同一人物によるものです。
文字を書いた和田正兵衛(生卒年不詳)の経歴は分かっていませんが、御家流を得意としていたようです。江戸後期にいくつかの出版に携わっており、寺子屋師匠というよりは、「職業書家」であったかもしれません。
作品名 | 改正 庭訓往来 |
ふりがな | かいせい ていきんおうらい |
作者 | 暁鐘成 |
国名 | 日本 |
制作年 | 江戸時代後期 |
寸法 | 21.5×15.1cm |
目録番号 | 寺往‐104 |
文政8年(1826)初版のこの作品は、木村明啓が編輯し、暁 鐘成が挿絵を描き、和田正兵衛が文字を描いた「庭訓往来」です。実は、木村明啓は暁 鐘成(1793~1861)の本名で、編輯と挿絵は、同一人物によるものです。
文字を書いた和田正兵衛(生卒年不詳)の経歴は分かっていませんが、御家流を得意としていたようです。江戸後期にいくつかの出版に携わっており、寺子屋師匠というよりは、「職業書家」であったかもしれません。