東方朔(前154?〜前93?)とは、前漢・武帝(前156~前87)に仕えた実在の政治家であるが、西王母の桃を盗み食べて長寿を得たというエピソードから、長寿の象徴として画題となることが多い。「東方朔画賛」は、西晋時代の夏侯湛(243~291)が書いたもので、顔真卿が平原太守として赴任した際、再建したもの。天宝11年(752)の「多宝塔碑」に次ぐ作例であり、現存する顔真卿の作品では比較的早期のものとなる。46歳時の作品。
東方朔(前154?〜前93?)とは、前漢・武帝(前156~前87)に仕えた実在の政治家であるが、西王母の桃を盗み食べて長寿を得たというエピソードから、長寿の象徴として画題となることが多い。「東方朔画賛」は、西晋時代の夏侯湛(243~291)が書いたもので、顔真卿が平原太守として赴任した際、再建したもの。天宝11年(752)の「多宝塔碑」に次ぐ作例であり、現存する顔真卿の作品では比較的早期のものとなる。46歳時の作品。
| 作品名 | 東方朔画賛碑 |
| ふりがな | とうほうさくがさんひ |
| 作者 | 顔真卿 |
| 国名 | 中国 |
| 制作年 | 唐時代 天宝13年(754)刻 |
| 寸法 | 30.0×18.1cm |
| 目録番号 | 碑ー顔ー008 |
東方朔(前154?〜前93?)とは、前漢・武帝(前156~前87)に仕えた実在の政治家であるが、西王母の桃を盗み食べて長寿を得たというエピソードから、長寿の象徴として画題となることが多い。「東方朔画賛」は、西晋時代の夏侯湛(243~291)が書いたもので、顔真卿が平原太守として赴任した際、再建したもの。天宝11年(752)の「多宝塔碑」に次ぐ作例であり、現存する顔真卿の作品では比較的早期のものとなる。46歳時の作品。