前漢と後漢の間に、王莽(前45~23)が建てた新王朝の刻石。この時代の刻石は数が少ないため貴重なものといえる。
波磔のない「古隷」から、波磔があり字形が扁平な「八分」隷書に、変遷する過渡期の書体である。石面は52×75cmで、5字7行にわたり刻されており、原石は清時代の乾隆57年(1792)に王仲磊が、山東雛県の臥虎山で最初に発見し、顔逢甲が嘉慶22年(1817)に入手したものとされる。
内容は、莱子候が新たに設けた田地を子孫に永く伝えるように戒めたもので、書風は優しく素朴で、大らかさを感じる。簡牘などの史料から、当時の一書風と見られる。また行間に見られる界線は、簡牘の影響を受けた様式だと考えられる。
作品名 | 萊子侯刻石 |
ふりがな | らいしこうこくせき |
作者 | 不詳 |
国名 | 中国 |
制作年 | 新時代 天鳳3年(16) |
寸法 | 36.7×62.2cm |
目録番号 | 13-0071 |
前漢と後漢の間に、王莽(前45~23)が建てた新王朝の刻石。この時代の刻石は数が少ないため貴重なものといえる。
波磔のない「古隷」から、波磔があり字形が扁平な「八分」隷書に、変遷する過渡期の書体である。石面は52×75cmで、5字7行にわたり刻されており、原石は清時代の乾隆57年(1792)に王仲磊が、山東雛県の臥虎山で最初に発見し、顔逢甲が嘉慶22年(1817)に入手したものとされる。
内容は、莱子候が新たに設けた田地を子孫に永く伝えるように戒めたもので、書風は優しく素朴で、大らかさを感じる。簡牘などの史料から、当時の一書風と見られる。また行間に見られる界線は、簡牘の影響を受けた様式だと考えられる。