戴彬元(1836~1889)は、字を君儀、号を虞卿といい、天津の人。清末の官僚であるとともに、書でも知られた。その書は顔真卿(709~785)を基礎とし、さらに何紹基(1799~1873)などの諸家を交え、独自の書風を打ちたてた。
本作は、「観音経」を揮毫したもので、顔真卿の影響である向勢の結体と、肥痩・遅速の変化に富む独特の筆法は、一見稚拙でありながらも、確かな技量が感じられる。
戴彬元(1836~1889)は、字を君儀、号を虞卿といい、天津の人。清末の官僚であるとともに、書でも知られた。その書は顔真卿(709~785)を基礎とし、さらに何紹基(1799~1873)などの諸家を交え、独自の書風を打ちたてた。
本作は、「観音経」を揮毫したもので、顔真卿の影響である向勢の結体と、肥痩・遅速の変化に富む独特の筆法は、一見稚拙でありながらも、確かな技量が感じられる。
作品名 | 戴虞卿先生墨蹟 |
ふりがな | たいぐけいせんせいぼくせき |
作者 | 戴彬元 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 光緒13年(1887) |
寸法 | 40.5×32.4cm |
目録番号 | 書冊-A-012 |
戴彬元(1836~1889)は、字を君儀、号を虞卿といい、天津の人。清末の官僚であるとともに、書でも知られた。その書は顔真卿(709~785)を基礎とし、さらに何紹基(1799~1873)などの諸家を交え、独自の書風を打ちたてた。
本作は、「観音経」を揮毫したもので、顔真卿の影響である向勢の結体と、肥痩・遅速の変化に富む独特の筆法は、一見稚拙でありながらも、確かな技量が感じられる。