遠山廬山(1823~1904)は、京都出身の書家で、東寺坊官の田辺玄々(1796?~1859)にまなび、とくに行書を得意としました。名は慧といいます。本作は、楷書、行書、草書を織り交ぜ、唐代の有名な七言絶句詩を書いたもので、お手本として弟子に授けた作品であるが故の、整然としたのびやかな作風に仕上がっています。山形騰雲なる人物の旧蔵品。
遠山廬山(1823~1904)は、京都出身の書家で、東寺坊官の田辺玄々(1796?~1859)にまなび、とくに行書を得意としました。名は慧といいます。本作は、楷書、行書、草書を織り交ぜ、唐代の有名な七言絶句詩を書いたもので、お手本として弟子に授けた作品であるが故の、整然としたのびやかな作風に仕上がっています。山形騰雲なる人物の旧蔵品。
| 作品名 | 楷行唐詩七絶帖 |
| ふりがな | かいぎょうとうししちぜつじょう |
| 作者 | 遠山盧山 |
| 国名 | 日本 |
| 制作年 | 明治時代中期 |
| 寸法 | 33.2×15.3cm |
| 目録番号 | 書冊-B-010 |
遠山廬山(1823~1904)は、京都出身の書家で、東寺坊官の田辺玄々(1796?~1859)にまなび、とくに行書を得意としました。名は慧といいます。本作は、楷書、行書、草書を織り交ぜ、唐代の有名な七言絶句詩を書いたもので、お手本として弟子に授けた作品であるが故の、整然としたのびやかな作風に仕上がっています。山形騰雲なる人物の旧蔵品。