弘道館記拓本

こうどうかんきたくほん
     

水戸藩第九代藩主・徳川斉昭が建設した藩校「弘道館」建学の主意を撰文したもの。同藩の儒学者・藤田東湖が和文で草稿を作成、菊池善左衛門が漢訳しました。その碑額及び本文は、斉昭自らが書き、篆書、隷書の実直な書風です。常陸・真弓山から切り出された寒水石に彫られ、同碑は弘道館内に保存されています。

                                               
作品名弘道館記拓本
ふりがなこうどうかんきたくほん
作者徳川斉昭/撰文・書・篆額
国名日本
制作年天保9年(1838)撰文・同11年(1840)建碑
寸法147.2×86.8cm
目録番号日-書-140
釈文弘道館記  弘道者何人能弘道也道者何天地之大經而生民不可須臾離者也弘道之館何爲而  設也恭惟上古 神聖立極垂統天地位焉萬物育焉其所以照臨六合統御㝢内者未嘗不由斯道也 寶祚以之無窮國體以之尊嚴蒼生以之安寧蠻夷戎狄以之率服而 聖子神孫尚不肯自足樂取於人以爲善乃若西土唐虞三代之治敎資以賛 皇猷於是斯道兪大兪明而無復尚焉中世以降異端邪説誣民惑世俗儒曲學舎此從彼 皇化陵夷禍亂相踵大道之不明於世也蓋亦久矣我  東照宮撥亂反正尊 王攘夷允武允文以開太平之基吾祖 威公實受封於東土夙慕  日本武尊之爲人尊神道繕武備 義公繼述嘗發感於夷齊更崇儒敎明倫正名以藩  屏於  國家爾來百數十年世承遺緒沐浴恩澤以至今日則苟爲臣子者豈可弗思  所以推弘斯道發揚  先德乎此則館之所以爲設也抑夫祀  建御雷神者何以其亮天功於草昧留威靈於茲土欲原其始報其本使民知斯道之所  繇來也其營孔子廟者何以唐虞三代之道折衷於此欲欽其德資其敎使人知斯道之  所以益大且明不偶然也嗚嘑我國中士民夙夜匪解出入斯館奉  神州之道資西  土之敎忠孝无二文武不岐學問事業不殊其效敬神崇儒無有偏黨集衆思宣群力以  報  國家無窮之恩則豈徒   祖宗之志弗墜 神皇在天之靈亦將降鑒焉設斯館以統其治敎者誰權中納言從三位源朝臣齊昭也  天保九年歳次戊戌春三月齊昭撰文并書及篆額

水戸藩第九代藩主・徳川斉昭が建設した藩校「弘道館」建学の主意を撰文したもの。同藩の儒学者・藤田東湖が和文で草稿を作成、菊池善左衛門が漢訳しました。その碑額及び本文は、斉昭自らが書き、篆書、隷書の実直な書風です。常陸・真弓山から切り出された寒水石に彫られ、同碑は弘道館内に保存されています。

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