臨書四屏

りんしょしへい
     

作者の伊立勲(1855~1940※異説あり)は、清・乾隆時代の隷書の大家として有名な伊秉綬(1754~1816)の玄孫にあたります。6歳の時に起こった太平天国の乱で、曽祖父・伊念曽(1790~1861)と祖父が兵禍に遭い、生母も失いました。杭州に移ってから勉学に励み、家学の書法を善くしました。40歳で科挙に合格して、清の末年に江蘇無錫の知事などを歴任した後、民国以降は亡くなるまでの数十年を、上海で書を売って暮らしたといいます。遺作は多く、観峰館にも40点を超える作品を収蔵しています。

独自の書風を打ち立てて個性を発揮するタイプと、古典の書法をそのまま習得し、自在に書き分ける技巧派タイプに分けるとすると、伊立勲は明らかに後者であり、今回ご紹介する四屏も、それぞれ単幅で鑑賞できるように署名されていますが、各書体の古典を臨書した四作品を一組として書かれた作品です。評価として「篆書・隷書には見るべきものがある」と少々辛口に評されますが、各体とも字形を整え、書体に合わせて字間を配慮し、線質は穏やかです。抜群の安定感があります。72歳の作品としては、充実した書きぶりといえるのではないでしょうか。(漢字部 資料紹介 2017年12月号)

                                               
作品名臨書四屏
ふりがなりんしょしへい
作者伊立勲
国名中国
制作年民国16年(1927) 
寸法各132.0×33.0cm
目録番号4A-0090
釈文右幅より隷書:臨漢魯峻碑/篆書:臨泰山刻石/楷書:臨多宝塔碑/草書:臨書譜

作者の伊立勲(1855~1940※異説あり)は、清・乾隆時代の隷書の大家として有名な伊秉綬(1754~1816)の玄孫にあたります。6歳の時に起こった太平天国の乱で、曽祖父・伊念曽(1790~1861)と祖父が兵禍に遭い、生母も失いました。杭州に移ってから勉学に励み、家学の書法を善くしました。40歳で科挙に合格して、清の末年に江蘇無錫の知事などを歴任した後、民国以降は亡くなるまでの数十年を、上海で書を売って暮らしたといいます。遺作は多く、観峰館にも40点を超える作品を収蔵しています。

独自の書風を打ち立てて個性を発揮するタイプと、古典の書法をそのまま習得し、自在に書き分ける技巧派タイプに分けるとすると、伊立勲は明らかに後者であり、今回ご紹介する四屏も、それぞれ単幅で鑑賞できるように署名されていますが、各書体の古典を臨書した四作品を一組として書かれた作品です。評価として「篆書・隷書には見るべきものがある」と少々辛口に評されますが、各体とも字形を整え、書体に合わせて字間を配慮し、線質は穏やかです。抜群の安定感があります。72歳の作品としては、充実した書きぶりといえるのではないでしょうか。(漢字部 資料紹介 2017年12月号)

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