趙時棡(1874~1945)は清末民初の篆刻家・書家・画家として有名な人です。字を叔孺、晩号を二弩老人といい、清時代同冶13年(1874)浙江寧波の出身です。民国34年(1945)に71歳で没しました。
書は宋の趙孟頫や清の趙之謙から学び、篆隷楷行草いずれにも優れて、辛亥革命(1911年)以降は、上海で書画篆刻を売って生計を立てました。篆刻と馬の絵が得意で呉昌碩と並び賞されるほどでした。この作品は仏滅以降、経典が中国に伝わり達磨の時代を経て、禅宗特に臨済宗が栄えたことを書いたものです。書風は穏やかで気品があります。(漢字部 資料紹介 2011年9月号)
作品名 | 行書古文軸 |
ふりがな | ぎょうしょこぶんじく |
作者 | 趙時棡 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国6年(1917) |
寸法 | 124.5×38.5cm |
目録番号 | 4A-1289 |
釈文 | 仏滅後五百年騰蘭始以経来東土而得聞 其言又後五百余年達磨不立文字来而得 伝其心伝之三百余年而派別五宗又三百余年 東山三仏以法大慧応菴角立子孫布満東 南由是臨際一宗特盛 篤甫二兄親家世大人法家正之 丁巳九月叔孺趙世孺 |
趙時棡(1874~1945)は清末民初の篆刻家・書家・画家として有名な人です。字を叔孺、晩号を二弩老人といい、清時代同冶13年(1874)浙江寧波の出身です。民国34年(1945)に71歳で没しました。
書は宋の趙孟頫や清の趙之謙から学び、篆隷楷行草いずれにも優れて、辛亥革命(1911年)以降は、上海で書画篆刻を売って生計を立てました。篆刻と馬の絵が得意で呉昌碩と並び賞されるほどでした。この作品は仏滅以降、経典が中国に伝わり達磨の時代を経て、禅宗特に臨済宗が栄えたことを書いたものです。書風は穏やかで気品があります。(漢字部 資料紹介 2011年9月号)