行書七言絶句詩屏風

ぎょうしょしちごんぜっくしびょうぶ
     

頼山陽(1780~1832)は、名を襄(のぼる)といい、字は子成、三十六峰外史などと号した。大阪府出身。江戸後期を代表する儒学者の一人。明治以降の歴史教育に強い影響を与えた『日本外史(にほんがいし)』を著すとともに、多く書画、詩作品を残した。
右曲の詩は、『山陽詩鈔』巻一所収「題自画山水六首」の七言絶句。文化14年(1817)頃に作詩されたと考えられる。作詩の前年には父・春水が亡くなり、文政元年(1818)には、父の三回忌を済ませ、その足で九州旅行へと出掛け、多くの書の揮毫の依頼を受けている。山陽にとっては、人生の一大転機となった時期である。

【参考文献】
頼山陽史跡資料館開館十五周年記念企画展『頼山陽の書風』(頼山陽記念文化財団、2010年)
寺前公基「頼山陽「月無欠」と望月の歌ー観峰館収蔵書作品の考察とともにー」(「観峰館紀要」第10号、2014年)

観峰館紀要 第10号

                                               
作品名行書七言絶句詩屏風
ふりがなぎょうしょしちごんぜっくしびょうぶ
作者頼山陽
国名日本
制作年江戸時代後期
寸法155.0×145.0cm
目録番号日-屏-010
釈文右扇:硯餘焦墨手両閑試学倪家 側筆山無素雲林真面目 本来不在點皴間 左扇:蒼溜聲中滋農煤恰満雲 時幾層堆怪他夢催非互句 峯々津金雨気来

頼山陽(1780~1832)は、名を襄(のぼる)といい、字は子成、三十六峰外史などと号した。大阪府出身。江戸後期を代表する儒学者の一人。明治以降の歴史教育に強い影響を与えた『日本外史(にほんがいし)』を著すとともに、多く書画、詩作品を残した。
右曲の詩は、『山陽詩鈔』巻一所収「題自画山水六首」の七言絶句。文化14年(1817)頃に作詩されたと考えられる。作詩の前年には父・春水が亡くなり、文政元年(1818)には、父の三回忌を済ませ、その足で九州旅行へと出掛け、多くの書の揮毫の依頼を受けている。山陽にとっては、人生の一大転機となった時期である。

【参考文献】
頼山陽史跡資料館開館十五周年記念企画展『頼山陽の書風』(頼山陽記念文化財団、2010年)
寺前公基「頼山陽「月無欠」と望月の歌ー観峰館収蔵書作品の考察とともにー」(「観峰館紀要」第10号、2014年)

観峰館紀要 第10号

KAMPO MUSEUM IN SHIGA ©︎ All Rights Reserved