沈衛(1862~1945)、字は友霍、号は淇泉。晩年は兼巣老人と号した。また紅豆館主と署した。浙江嘉興の人。光緒16年(1890)の進士。官は翰林編集・陜西学政などを務めた。詩文・書法を善くした。晩清民国期の翰苑の巨擘とされ、また張謇(1853~1926)と状元を争ったといわれる。
この作品は司馬遷(前145?~前86?)の『史記』「張耳陳余列伝」の一説と、宋の劉義慶(403~444)が著した『世説新語』の引用である。
沈衛(1862~1945)、字は友霍、号は淇泉。晩年は兼巣老人と号した。また紅豆館主と署した。浙江嘉興の人。光緒16年(1890)の進士。官は翰林編集・陜西学政などを務めた。詩文・書法を善くした。晩清民国期の翰苑の巨擘とされ、また張謇(1853~1926)と状元を争ったといわれる。
この作品は司馬遷(前145?~前86?)の『史記』「張耳陳余列伝」の一説と、宋の劉義慶(403~444)が著した『世説新語』の引用である。
作品名 | 楷書十二言対聯 |
ふりがな | かいしょじゅうにごんついれん |
作者 | 沈衛 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国10年(1921) |
寸法 | 各143.1×18.8cm |
目録番号 | 4A-3904 |
釈文 | 張耳舎中厮養卆莫不是俊傑 魏王牀頭捉刀人之可為英雄/右幅款記:懋勛先生大方家雅鑑 集馬遷史記劉臨川世説新語/左幅款記:辛酉春三月幾望兼巣居士沈衛並識於滬北客舎之簫引山房 |
沈衛(1862~1945)、字は友霍、号は淇泉。晩年は兼巣老人と号した。また紅豆館主と署した。浙江嘉興の人。光緒16年(1890)の進士。官は翰林編集・陜西学政などを務めた。詩文・書法を善くした。晩清民国期の翰苑の巨擘とされ、また張謇(1853~1926)と状元を争ったといわれる。
この作品は司馬遷(前145?~前86?)の『史記』「張耳陳余列伝」の一説と、宋の劉義慶(403~444)が著した『世説新語』の引用である。