楊峴(1819~1896)、字は見山、庸齋、藐翁と号した。浙江帰安の人。咸豊5年(1855)の挙人。官は松江知府に至ったが、上司と合わずに退官し、書を売って自給した。門下に呉昌碩(1844~1927)がいる。その書は清奇で、とくに「礼器碑」を学んで漢隷に最もすぐれる。清末の碑学派の名家といえよう。
本作はともに蘇軾(1037~1101)の詩より取材したもので、右聯は「春貼子詞・太皇太后閣六首」、左聯は「和章七出守湖州二首」の一句を揮毫する。鮮やかな緋蝋箋と雄大な波磔とが魅力的な作品。
楊峴(1819~1896)、字は見山、庸齋、藐翁と号した。浙江帰安の人。咸豊5年(1855)の挙人。官は松江知府に至ったが、上司と合わずに退官し、書を売って自給した。門下に呉昌碩(1844~1927)がいる。その書は清奇で、とくに「礼器碑」を学んで漢隷に最もすぐれる。清末の碑学派の名家といえよう。
本作はともに蘇軾(1037~1101)の詩より取材したもので、右聯は「春貼子詞・太皇太后閣六首」、左聯は「和章七出守湖州二首」の一句を揮毫する。鮮やかな緋蝋箋と雄大な波磔とが魅力的な作品。
作品名 | 隷書蘇軾詩対聯 |
ふりがな | れいしょそしょくしついれん |
作者 | 楊峴 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 |
寸法 | 各168.0×36.0cm |
目録番号 | 4A-0185 |
釈文 | 庭仁兄大人属 不独清心能省事 応須極貴又長生 庸齋楊峴 |
楊峴(1819~1896)、字は見山、庸齋、藐翁と号した。浙江帰安の人。咸豊5年(1855)の挙人。官は松江知府に至ったが、上司と合わずに退官し、書を売って自給した。門下に呉昌碩(1844~1927)がいる。その書は清奇で、とくに「礼器碑」を学んで漢隷に最もすぐれる。清末の碑学派の名家といえよう。
本作はともに蘇軾(1037~1101)の詩より取材したもので、右聯は「春貼子詞・太皇太后閣六首」、左聯は「和章七出守湖州二首」の一句を揮毫する。鮮やかな緋蝋箋と雄大な波磔とが魅力的な作品。