李瑞清(1867〜1920)は字を仲麟、梅庵・清道人と号した。南京両江優級師範学堂の校長をつとめたが、辛亥革命(1911)がおこると上海に移住し、書を売って生計をたてた。その書は古銅器や漢・魏の石碑の文字を臨模し、行草は黄庭堅(1045~1105)に、楷書は晋唐に学んだ。本作は、隷意を含んだ楷書による北魏の「中岳嵩高霊廟碑」の一節を、「鋸体」とよばれる独特の波打った筆法で書写したものである。
作品名 | 楷書臨中岳嵩高霊廟碑軸 |
ふりがな | かいしょりんれいちゅうがくすうこうれいびょうひじく |
作者 | 李瑞清 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国5年(1916) |
寸法 | 145.9×40.0cm |
目録番号 | 4A-1613 |
釈文 | 岩岩嵩作鎮后土配天承 化誕命聖明彝倫攸序降 神育賢生申及甫 能合三爨之妙 丙辰秋日 梅盦 |
李瑞清(1867〜1920)は字を仲麟、梅庵・清道人と号した。南京両江優級師範学堂の校長をつとめたが、辛亥革命(1911)がおこると上海に移住し、書を売って生計をたてた。その書は古銅器や漢・魏の石碑の文字を臨模し、行草は黄庭堅(1045~1105)に、楷書は晋唐に学んだ。本作は、隷意を含んだ楷書による北魏の「中岳嵩高霊廟碑」の一節を、「鋸体」とよばれる独特の波打った筆法で書写したものである。