篆書七言対聯

てんしょしちごんついれん
     

章炳麟(1869~1936)は、清末民初にかけて活躍した学者・革命家。字は枚叔、太炎とも号した。浙江省余杭県の地主の家の四男として生まれた。日清戦争敗北後、康有為が中心となって清朝の富国強兵を研究・推進することを目的として設立された強学会に入会するも、戊戌変法が発生すると西太后(1835~1908)を代表とする保守派から厳しく追及され、台湾を経て日本へ亡命した。

彼は仏教の熱心な信者で、仏教の平等性を強調し、広く人びとを平等に救うものとして信じていた。本作品は、「世の中に仏が手を差し伸べれば、人心は一様に平らかになる」、まさに章炳麟の仏教に対する姿勢を示したものである。

                                               
作品名篆書七言対聯
ふりがなてんしょしちごんついれん
作者章炳麟
国名中国
制作年中華民国
寸法各105.5×19.2cm
目録番号4A-1030
釈文願将仏手双垂下 摩得人心一様平 章炳麟

章炳麟(1869~1936)は、清末民初にかけて活躍した学者・革命家。字は枚叔、太炎とも号した。浙江省余杭県の地主の家の四男として生まれた。日清戦争敗北後、康有為が中心となって清朝の富国強兵を研究・推進することを目的として設立された強学会に入会するも、戊戌変法が発生すると西太后(1835~1908)を代表とする保守派から厳しく追及され、台湾を経て日本へ亡命した。

彼は仏教の熱心な信者で、仏教の平等性を強調し、広く人びとを平等に救うものとして信じていた。本作品は、「世の中に仏が手を差し伸べれば、人心は一様に平らかになる」、まさに章炳麟の仏教に対する姿勢を示したものである。

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