銭灃(1740~1795)は、字を東注、号を南園といい、雲南昆明の人。乾隆36年(1771)の進士で、監察御史など高官を歴任した。剛直な性格で直言をはばからず、大臣の不正も弾劾している。その性格ゆえか、董其昌(1555~1636)の秀麗な書風が全盛の時期に在って、同じく剛直の士であった顔真卿(709~785)の書法を徹底的にならった。
本作は、結体・筆法ともに顔法の重厚さを忠実に再現しており、まさしく顔真卿を継承するものといえよう。
銭灃(1740~1795)は、字を東注、号を南園といい、雲南昆明の人。乾隆36年(1771)の進士で、監察御史など高官を歴任した。剛直な性格で直言をはばからず、大臣の不正も弾劾している。その性格ゆえか、董其昌(1555~1636)の秀麗な書風が全盛の時期に在って、同じく剛直の士であった顔真卿(709~785)の書法を徹底的にならった。
本作は、結体・筆法ともに顔法の重厚さを忠実に再現しており、まさしく顔真卿を継承するものといえよう。
作品名 | 楷書軸 |
ふりがな | かいしょじく |
作者 | 銭灃 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代中期 乾隆後期(1770年頃) |
寸法 | 134.8×61.0cm |
目録番号 | 4A-2630 |
釈文 | 若農服田力穡乃亦有秋 故民生在勤則不匱先知 稼穡之艱難乃故君子能 労則有継逸 灃 |
銭灃(1740~1795)は、字を東注、号を南園といい、雲南昆明の人。乾隆36年(1771)の進士で、監察御史など高官を歴任した。剛直な性格で直言をはばからず、大臣の不正も弾劾している。その性格ゆえか、董其昌(1555~1636)の秀麗な書風が全盛の時期に在って、同じく剛直の士であった顔真卿(709~785)の書法を徹底的にならった。
本作は、結体・筆法ともに顔法の重厚さを忠実に再現しており、まさしく顔真卿を継承するものといえよう。