本作は、北魏に刻された《張黒女墓誌》を臨書したものです。
《張黒女墓誌》は、北魏時代の普泰元年(531)に刻されたと思われる官吏の墓誌です。《張玄墓誌》とも呼ばれます。清時代に出土しましたが、原石はすでに失われており、その拓本も、清時代を代表する書家の一人・何紹基(1799~1873)が所蔵していたというものを1点伝えるのみとなっています。
石碑本体は現存せず、拓本も限られたものしか残っていませんが、その端正で厳格な書風が高く評価されている墓誌です。
曾煕による臨書作品では、線に過度な肥痩はなく、伸びやかに書かれています。字形は少し扁平ぎみのものが多く、手本を忠実に再現しようとしているようです。
よく見ると、わずかに線が震えているように見えます。これは、中華民国初期の上海で流行した、あえて筆を震わせて線を引く「鋸体」と呼ばれる書風の影響かもしれません。
作者の曾煕は清末の官僚で、中華民国4年(1915)以降は上海で書画家として活躍した人物です。門下に画家として著名な張大千(1899~1983)がいます。
作品名 | 楷書臨張黒女墓誌軸 |
ふりがな | かいしょりんちょうこくじょぼしじく |
作者 | 曾熙 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清末~民国 |
寸法 | 149.9×39.8cm |
目録番号 | 4A-0437 |
本作は、北魏に刻された《張黒女墓誌》を臨書したものです。
《張黒女墓誌》は、北魏時代の普泰元年(531)に刻されたと思われる官吏の墓誌です。《張玄墓誌》とも呼ばれます。清時代に出土しましたが、原石はすでに失われており、その拓本も、清時代を代表する書家の一人・何紹基(1799~1873)が所蔵していたというものを1点伝えるのみとなっています。
石碑本体は現存せず、拓本も限られたものしか残っていませんが、その端正で厳格な書風が高く評価されている墓誌です。
曾煕による臨書作品では、線に過度な肥痩はなく、伸びやかに書かれています。字形は少し扁平ぎみのものが多く、手本を忠実に再現しようとしているようです。
よく見ると、わずかに線が震えているように見えます。これは、中華民国初期の上海で流行した、あえて筆を震わせて線を引く「鋸体」と呼ばれる書風の影響かもしれません。
作者の曾煕は清末の官僚で、中華民国4年(1915)以降は上海で書画家として活躍した人物です。門下に画家として著名な張大千(1899~1983)がいます。