本作は、南北朝時代に刻された石碑4種を臨書したものです。
右から東魏時代の天平元年(534)に刻された《程哲碑》、北斉時代の天保6年(555)に刻された《李清報徳頌碑》と武平元年(570)に刻された《文殊般若経碑》、梁時代の天藍13年(514)に刻された《瘞鶴銘》を、それぞれ手本としています。
いずれも、石に刻された姿を想起させる線質を用いて臨書しています。
作者の李瑞清は清末の官僚で、中華民国になってからは上海で書画家として活躍しました。筆をわざと震わせて、石碑に刻された文字の姿を想起させる書風「鋸体」を用いたことで有名です。
本作も震えるような線質が多用されており、長い年月を経て風化した石碑の姿を想起させるものです。
ただし、2幅目のみ、直線的で鋭い線質で臨書されています。これは手本とした《李清報徳頌碑》に見られる、石に鑿で刻した線を再現しようとしているものです。
作品名 | 臨書四屏 |
ふりがな | りんしょしへい |
作者 | 李瑞清 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清末~民国 |
寸法 | 各173.5×44.1cm |
目録番号 | 4A-0247 |
本作は、南北朝時代に刻された石碑4種を臨書したものです。
右から東魏時代の天平元年(534)に刻された《程哲碑》、北斉時代の天保6年(555)に刻された《李清報徳頌碑》と武平元年(570)に刻された《文殊般若経碑》、梁時代の天藍13年(514)に刻された《瘞鶴銘》を、それぞれ手本としています。
いずれも、石に刻された姿を想起させる線質を用いて臨書しています。
作者の李瑞清は清末の官僚で、中華民国になってからは上海で書画家として活躍しました。筆をわざと震わせて、石碑に刻された文字の姿を想起させる書風「鋸体」を用いたことで有名です。
本作も震えるような線質が多用されており、長い年月を経て風化した石碑の姿を想起させるものです。
ただし、2幅目のみ、直線的で鋭い線質で臨書されています。これは手本とした《李清報徳頌碑》に見られる、石に鑿で刻した線を再現しようとしているものです。