李瑞清(1867~1920)、字は仲麟、清道人・梅菴・玉梅花菴と号した。上海で買書によって生計をたて、楊守敬や呉昌碩と交遊した。書は古銅器や漢魏碑版の臨書作品が多い。
本作は、南朝の宋の墓碑である爨龍顔碑を臨書したもので、鋸体や震書とよばれる独特の書体で書かれている。
李瑞清(1867~1920)、字は仲麟、清道人・梅菴・玉梅花菴と号した。上海で買書によって生計をたて、楊守敬や呉昌碩と交遊した。書は古銅器や漢魏碑版の臨書作品が多い。
本作は、南朝の宋の墓碑である爨龍顔碑を臨書したもので、鋸体や震書とよばれる独特の書体で書かれている。
作品名 | 楷書臨爨龍顔碑軸 |
ふりがな | かいしょりんさんりゅうがんぴじく |
作者 | 李瑞清 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国5年(1916) |
寸法 | 146.1×39.6cm |
目録番号 | 4A-1612 |
釈文 | 歳在壬申百六遘釁州土 擾乱東西二境凶竪狼暴 緬成寇場 以乙瑛之筆鄭固之結体為之 丙辰七月玉梅花盦臨 |
李瑞清(1867~1920)、字は仲麟、清道人・梅菴・玉梅花菴と号した。上海で買書によって生計をたて、楊守敬や呉昌碩と交遊した。書は古銅器や漢魏碑版の臨書作品が多い。
本作は、南朝の宋の墓碑である爨龍顔碑を臨書したもので、鋸体や震書とよばれる独特の書体で書かれている。