高邕(1850~1921)は、字を邕之、号を李盦といい、浙江仁和の人。買官によって地方官となり、民国成立後は上海に居住し、書を売って生計を立てた。汪洵(1846~1915)・呉昌碩(1844~1927)・張祖翼(1849~1917)と共に「滬上四書家」と称せられる。その書は、唐の李邕(678~747)に傾注し、蔵鋒を駆使した独特の行草作品を多く残す。
本作は、「争坐位文稿」の節臨作品。顔真卿(709~785)の字形を踏襲しつつ、線質はより直線的で鋭く、李邕を学んだ影響が出ている。
高邕(1850~1921)は、字を邕之、号を李盦といい、浙江仁和の人。買官によって地方官となり、民国成立後は上海に居住し、書を売って生計を立てた。汪洵(1846~1915)・呉昌碩(1844~1927)・張祖翼(1849~1917)と共に「滬上四書家」と称せられる。その書は、唐の李邕(678~747)に傾注し、蔵鋒を駆使した独特の行草作品を多く残す。
本作は、「争坐位文稿」の節臨作品。顔真卿(709~785)の字形を踏襲しつつ、線質はより直線的で鋭く、李邕を学んだ影響が出ている。
作品名 | 行書臨顔真卿争坐位文稿四屏 |
ふりがな | ぎょうしょりんがんしんけいそうざいぶんこうしへい |
作者 | 高邕 |
国名 | 中国 |
制作年 | 民国元年(1912) |
寸法 | 各149.5×40.0cm |
目録番号 | 4A-4283 |
釈文 | 書曰爾唯弗矜天下莫与汝争功爾唯 不伐天下莫与汝争能以斉桓公之盛 業片言勤王則九合諸侯一匡天下葵 之会微有振矜而叛者九国故曰行百里 者半九十里言晩節末路之難也従古至 今自我高祖太宗已来未有行此而不理廃此而不 乱者也前者菩提寺行香僕射指麾宰 相与两両省台省已下常参官并為一行坐魚開 府及僕射率諸軍将為一行坐若一時 従権猶未可何况積習更行之乎一昨以郭 公父子之軍破犬羊凶逆之衆衆情欣喜恨 不頂而戴之是用有興道之会 臨論坐帖 壬子高邕 |
高邕(1850~1921)は、字を邕之、号を李盦といい、浙江仁和の人。買官によって地方官となり、民国成立後は上海に居住し、書を売って生計を立てた。汪洵(1846~1915)・呉昌碩(1844~1927)・張祖翼(1849~1917)と共に「滬上四書家」と称せられる。その書は、唐の李邕(678~747)に傾注し、蔵鋒を駆使した独特の行草作品を多く残す。
本作は、「争坐位文稿」の節臨作品。顔真卿(709~785)の字形を踏襲しつつ、線質はより直線的で鋭く、李邕を学んだ影響が出ている。