古玩文具の魅力⑤
歙州石(きゅうじゅうせき)は、江西省(こうせいしょう)から安徽省(あんきしょう)にかけて産出する硯石で、記録によると、黄山山脈の支脈である竜尾山(りゅうびざん)〈=羅紋山〉一帯の峡中にある数多くの硯坑から名材が採掘されたといわれます。
歙州月兎硯によると、その石質は、鋒鋩(ほうぼう)が極めて立っており、表面に石層が認められます。石色は黒色を基調としており、金星(金色の砂子を散らしたような模様)・金暈(きんうん、雲のように漂う金色の模様)など金銀色の石紋があるものや、羅紋(らもん)と呼ばれる薄い絹織物を重ねたような、青黒い細い糸のような線、黒や白色の小点が前面に出ている魚子紋(ぎょしもん)などが特徴です。唐代から宋代にかけて、端渓硯(たんけいけん)と同等あるいはそれ以上の評価を得ており、歙州特有の石色、渋い斑紋、素朴な硯式は、文人たちに好まれていました。
裏面には、中央に月と兎が、周囲に「月之精顧兎生三五盈揚光明友墨卿宣管城浴華英規而成乾隆御銘(月の精、兎生を顧る。三五盈ちて、光明を揚ぐ。墨卿を友とし、管城を宣う。華英を浴し、規して成る。乾隆御銘。)」の銘が刻まれます。この銘より、兎が月を振り返って見上げる様子が表されていることが分かります。硯側(けんそく)には「仿宋玉兎朝元硯(宋の玉兎朝元硯に仿う)」と刻されています。また清の乾隆帝の御撰である『西清硯譜(せいしんけんぷ)』や、日本の『和漢硯譜(わかんけんぷ)』に同じ図柄が描かれることから、このような仿製硯(ほうせいけん)は多く作られていたことが分かります。
小品の硯ですが、伝統が受け継がれた名硯の一つです。
(教師月報 2018年8月号)
作品名 | 歙州月兎硯 |
ふりがな | きゅうじゅうげっとけん |
作者 | 不詳 |
国名 | 中国 |
制作年 | 中国・清時代 |
寸法 | 径10.5×高さ2.2cm |
目録番号 | Y-197 |
古玩文具の魅力⑤
歙州石(きゅうじゅうせき)は、江西省(こうせいしょう)から安徽省(あんきしょう)にかけて産出する硯石で、記録によると、黄山山脈の支脈である竜尾山(りゅうびざん)〈=羅紋山〉一帯の峡中にある数多くの硯坑から名材が採掘されたといわれます。
歙州月兎硯によると、その石質は、鋒鋩(ほうぼう)が極めて立っており、表面に石層が認められます。石色は黒色を基調としており、金星(金色の砂子を散らしたような模様)・金暈(きんうん、雲のように漂う金色の模様)など金銀色の石紋があるものや、羅紋(らもん)と呼ばれる薄い絹織物を重ねたような、青黒い細い糸のような線、黒や白色の小点が前面に出ている魚子紋(ぎょしもん)などが特徴です。唐代から宋代にかけて、端渓硯(たんけいけん)と同等あるいはそれ以上の評価を得ており、歙州特有の石色、渋い斑紋、素朴な硯式は、文人たちに好まれていました。
裏面には、中央に月と兎が、周囲に「月之精顧兎生三五盈揚光明友墨卿宣管城浴華英規而成乾隆御銘(月の精、兎生を顧る。三五盈ちて、光明を揚ぐ。墨卿を友とし、管城を宣う。華英を浴し、規して成る。乾隆御銘。)」の銘が刻まれます。この銘より、兎が月を振り返って見上げる様子が表されていることが分かります。硯側(けんそく)には「仿宋玉兎朝元硯(宋の玉兎朝元硯に仿う)」と刻されています。また清の乾隆帝の御撰である『西清硯譜(せいしんけんぷ)』や、日本の『和漢硯譜(わかんけんぷ)』に同じ図柄が描かれることから、このような仿製硯(ほうせいけん)は多く作られていたことが分かります。
小品の硯ですが、伝統が受け継がれた名硯の一つです。
(教師月報 2018年8月号)