銅雀台瓦硯

どうじゃくだいがけん
     

中国・殷代以来漢代を中心に建築用材として用いられ、後代に出土した瓦を用いて作硯したものを瓦硯と言います。図版のような平瓦を用いたもののほか、軒先や屋根の両端などに使われた瓦当(がとう)を用いたものもあります。漢時代以前の瓦に刻まれた文字は、文字資料としても貴重なために、文人たちに蒐集・鑑賞されました。
銅雀台とは、魏の曹操(そうそう)が建安15年(西暦210年)、鄴城(ぎょうじょう)に築いた宮殿です。東魏、北斉時代に改修・拡張工事が行われ、その度に瓦が焼かれました。裏面には、建設時の年号である「建安15年」と刻されています。この瓦は防水性が高く墨液が染み込まないことから、硯として用いるのに適していました。
墨池の左右に刻まれた文字は、「為愛陶甄之質、宜加即墨之封(陶甄(とうけん)の質を愛さんがため、宜しく即墨(そくぼく)の封を加ふべし)」とあります。「即墨候」とは、硯の雅称であり優れた硯を指しています。この文言のとおり、銅雀台の瓦を用いた硯は著名で、硯譜として著名な『西清硯譜(せいしんけんぷ)』や『和漢硯譜(わかんけんぷ)』にも同じ種類のものが載せられています。
観峰館所蔵品は、銅雀台で用いられ出土した瓦ではなく、後代にその瓦を模して作られたものです。しかしながら、瓦硯として往時を偲ぶには十分なものです。
(教師月報 2019年4月)

                                           
作品名銅雀台瓦硯
ふりがなどうじゃくだいがけん
作者不詳
国名中国
制作年不詳
寸法28.4×17.5×5.4cm
目録番号ISー0005

中国・殷代以来漢代を中心に建築用材として用いられ、後代に出土した瓦を用いて作硯したものを瓦硯と言います。図版のような平瓦を用いたもののほか、軒先や屋根の両端などに使われた瓦当(がとう)を用いたものもあります。漢時代以前の瓦に刻まれた文字は、文字資料としても貴重なために、文人たちに蒐集・鑑賞されました。
銅雀台とは、魏の曹操(そうそう)が建安15年(西暦210年)、鄴城(ぎょうじょう)に築いた宮殿です。東魏、北斉時代に改修・拡張工事が行われ、その度に瓦が焼かれました。裏面には、建設時の年号である「建安15年」と刻されています。この瓦は防水性が高く墨液が染み込まないことから、硯として用いるのに適していました。
墨池の左右に刻まれた文字は、「為愛陶甄之質、宜加即墨之封(陶甄(とうけん)の質を愛さんがため、宜しく即墨(そくぼく)の封を加ふべし)」とあります。「即墨候」とは、硯の雅称であり優れた硯を指しています。この文言のとおり、銅雀台の瓦を用いた硯は著名で、硯譜として著名な『西清硯譜(せいしんけんぷ)』や『和漢硯譜(わかんけんぷ)』にも同じ種類のものが載せられています。
観峰館所蔵品は、銅雀台で用いられ出土した瓦ではなく、後代にその瓦を模して作られたものです。しかしながら、瓦硯として往時を偲ぶには十分なものです。
(教師月報 2019年4月)

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