部分拡大 款記 「京兆画眉」とは、京兆尹(けいちょういん)という官職にあった夫が、妻の眉を描いたことによる故事である。その由来は、中国の『漢書(かんじょ)』中にある張敞(ちょうしょう)の伝によるもの。「画眉図」は、当時の画家が好んで描いた画題であり、作例も多い。 徐楨(1841~1915)は、字は克生といい、江蘇省呉江の人。王礼の入室の弟子。徐祥とともに「二徐」と並称された。 Share Twitter Facebook Pinterest Email Copy Url