行書七言対句軸

ぎょうしょしちごんついくじく
     

市河米庵(1779~1858)は、江戸後期の書家。名は三亥(みつい)。字は孔陽(こうよう)、別号に楽斎(らくさい)など。米芾(べいふつ 1051~1107)や顔真卿(がんしんけい 709~785)などの中国の書を研究し、米庵の号は米芾に由来する。彼の書塾・小山林堂(しょうざんりんどう)には、五千を越える門人がいたという。
この作品は、前句を曾鞏(そうきょう 1019~1083)、後句を蘇軾(1037~1101)の詩より引用し対句とする。前句は、オリジナル詩の1文字目と5文字目を同音の別の字に変更している。後句は、「腹に詩書有れば、気自ずから華やぐ」という意味で、文人らしい文言を選句したものである。

                                               
作品名行書七言対句軸
ふりがなぎょうしょしちごんついくじく
作者市河米庵
国名日本
制作年江戸時代後期
寸法107.0×29.5cm
目録番号日-書-103
釈文動無畦畛神常坦腹 有詩書気自華 米庵書

市河米庵(1779~1858)は、江戸後期の書家。名は三亥(みつい)。字は孔陽(こうよう)、別号に楽斎(らくさい)など。米芾(べいふつ 1051~1107)や顔真卿(がんしんけい 709~785)などの中国の書を研究し、米庵の号は米芾に由来する。彼の書塾・小山林堂(しょうざんりんどう)には、五千を越える門人がいたという。
この作品は、前句を曾鞏(そうきょう 1019~1083)、後句を蘇軾(1037~1101)の詩より引用し対句とする。前句は、オリジナル詩の1文字目と5文字目を同音の別の字に変更している。後句は、「腹に詩書有れば、気自ずから華やぐ」という意味で、文人らしい文言を選句したものである。

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