行書七言対聯

ぎょうしょしちごんついれん
     

何紹基(1799~1873)は、清朝を代表する書法家で、字を子貞といい、東洲または蝯叟と号した。清朝の名臣として知られる何凌漢(1772~1840)の長子。科挙に合格して仕官したが、直言によって罷免され、各地を歴遊して文墨生活を送った。その書は、初め顔真卿(709~785)に傾倒し、のち北碑を学ぶようになり、さらに篆書・隷書を極めたとされる。

本作は、筆線に肥痩・潤滑の変化をつけた、緩急・抑揚のある行書作品。おおむね起筆に近い部分ほど点画が力強く重厚であるが、「曜」「舊」の横画に見られる終筆の細線のように、一見軽快な部分も、最後まで筆の力が抜かれていない。「更」「河」「東」などのように、横画を強調する書きぶりは、60歳以降から本格的に学んだ隷書の影響であろう。また、「雄」「有」「東」の起筆の強い逆入は、何紹基最盛期の行書にも見られるものである。署款の風格もあわせると、60代前半頃の作品と考えられる。

                                               
作品名行書七言対聯
ふりがなぎょうしょしちごんついれん
作者何紹基
国名中国
制作年清時代後期 同治年間(1860年代)頃
寸法各131.0×31.0cm
目録番号4A-2867
釈文揚雄更有河東賦 畢曜曾伝旧日詩 何紹基

何紹基(1799~1873)は、清朝を代表する書法家で、字を子貞といい、東洲または蝯叟と号した。清朝の名臣として知られる何凌漢(1772~1840)の長子。科挙に合格して仕官したが、直言によって罷免され、各地を歴遊して文墨生活を送った。その書は、初め顔真卿(709~785)に傾倒し、のち北碑を学ぶようになり、さらに篆書・隷書を極めたとされる。

本作は、筆線に肥痩・潤滑の変化をつけた、緩急・抑揚のある行書作品。おおむね起筆に近い部分ほど点画が力強く重厚であるが、「曜」「舊」の横画に見られる終筆の細線のように、一見軽快な部分も、最後まで筆の力が抜かれていない。「更」「河」「東」などのように、横画を強調する書きぶりは、60歳以降から本格的に学んだ隷書の影響であろう。また、「雄」「有」「東」の起筆の強い逆入は、何紹基最盛期の行書にも見られるものである。署款の風格もあわせると、60代前半頃の作品と考えられる。

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