篆書臨祀三公山碑軸

てんしょりんしさんこうざんぴじく
     

本作は、後漢時代の元初4年(117)に建てられたとみられる《祀三公山碑》を臨書したものです。

《祀三公山碑》は馮氏という人が三公山に祈ることで厄災を退けたことを讃えた内容を刻した石碑です。制作された後漢時代は、隷書体が正式書体として用いられていましたが、《祀三公山碑》の書体は篆書体に近いものとなっています。

「篆書でもなく、隷書でもない。これら2つの書体を兼ねている」とも評される、独特の書体です。

徐三庚(1826~1890)による臨書作品を見ると、縦画が細く、横画が太くなる傾向があります。毛筆の柔らかさを巧みに用いて、墨線の幅を調整しながら、臨書しています。ですが、手本とした《祀三公山碑》には、縦画と横画の太さに、徐三庚の臨書ほどの差はありません。

また、特に上から下へと引かれる線には、書き進める中で肥痩を変化させている様子が認められます。このような線における肥痩の表現は、徐三庚独自のものと言えるでしょう。

作者の徐三庚は書・篆刻等に巧みで、特に篆隷に長じていた人物です。中国内だけではなく、日本の円山大迂(1838~1916)などにも影響を与えました。

                                               
作品名篆書臨祀三公山碑軸
ふりがなてんしょりんしさんこうざんぴじく
作者徐三庚
国名中国
制作年清時代後期 光緒3年(1877)
寸法23.0×24.6cm
目録番号4A-0261
釈文元初四年常山相隴西 馮君到官承飢衰之後 衆惟三公御語山三条別 神向在領西吏民祷祀 興雲膚寸偏雨四維遭 離羌寇蝗旱鬲我民流 道荒醮祠希罕敬奠不行 由是之来和不臻 静山仁大兄大人大雅鑑之 節漢三公山碑 丁丑夏四月朔 徐三庚

本作は、後漢時代の元初4年(117)に建てられたとみられる《祀三公山碑》を臨書したものです。

《祀三公山碑》は馮氏という人が三公山に祈ることで厄災を退けたことを讃えた内容を刻した石碑です。制作された後漢時代は、隷書体が正式書体として用いられていましたが、《祀三公山碑》の書体は篆書体に近いものとなっています。

「篆書でもなく、隷書でもない。これら2つの書体を兼ねている」とも評される、独特の書体です。

徐三庚(1826~1890)による臨書作品を見ると、縦画が細く、横画が太くなる傾向があります。毛筆の柔らかさを巧みに用いて、墨線の幅を調整しながら、臨書しています。ですが、手本とした《祀三公山碑》には、縦画と横画の太さに、徐三庚の臨書ほどの差はありません。

また、特に上から下へと引かれる線には、書き進める中で肥痩を変化させている様子が認められます。このような線における肥痩の表現は、徐三庚独自のものと言えるでしょう。

作者の徐三庚は書・篆刻等に巧みで、特に篆隷に長じていた人物です。中国内だけではなく、日本の円山大迂(1838~1916)などにも影響を与えました。

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