鄭婢知詩図

ていひちしず
     
後漢の時代に鄭玄(127~200)という大学者がいました。儒学関係のあらゆる典籍に通じており、多くの門人を抱えていました。鄭玄の家には下女も住み込んでいましたが、彼女たちも主人の影響を受け、古典の知識が身についていました。あるとき、鄭玄が一人の下女を叱り、鞭打とうとすると、その下女が言い訳をはじめました。ますます怒った鄭玄は、彼女を引きずり出して泥だまりに突き入れました。しばらくして別の下女が通りかかってたずねます。
「胡為乎泥中(なんすれぞ泥中にありや=どうして泥の中にいるの?)」
彼女の答えは、「薄言往愬、逢彼之怒(薄か言に往きて愬えしが、彼の怒に逢えり=あわてて言い訳したら怒られちゃった)」
どちらも『詩経』という古典に出てくる言葉でした。
鄭玄家奴婢皆読書。嘗使一不称旨、将撻之、方自陳説。玄怒、使人曳着泥中。須臾、復有一婢来問曰、胡為乎泥中。答曰、薄言往愬、逢彼之怒。〈『世説新語』文学より〉
                                               
作品名鄭婢知詩図
ふりがなていひちしず
作者黄山寿
国名中国
制作年清末〜民国
寸法171.9×46.3cm
目録番号4a-0605
釈文鄭婢知詩 山寿
後漢の時代に鄭玄(127~200)という大学者がいました。儒学関係のあらゆる典籍に通じており、多くの門人を抱えていました。鄭玄の家には下女も住み込んでいましたが、彼女たちも主人の影響を受け、古典の知識が身についていました。あるとき、鄭玄が一人の下女を叱り、鞭打とうとすると、その下女が言い訳をはじめました。ますます怒った鄭玄は、彼女を引きずり出して泥だまりに突き入れました。しばらくして別の下女が通りかかってたずねます。
「胡為乎泥中(なんすれぞ泥中にありや=どうして泥の中にいるの?)」
彼女の答えは、「薄言往愬、逢彼之怒(薄か言に往きて愬えしが、彼の怒に逢えり=あわてて言い訳したら怒られちゃった)」
どちらも『詩経』という古典に出てくる言葉でした。
鄭玄家奴婢皆読書。嘗使一不称旨、将撻之、方自陳説。玄怒、使人曳着泥中。須臾、復有一婢来問曰、胡為乎泥中。答曰、薄言往愬、逢彼之怒。〈『世説新語』文学より〉

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