開通褒斜道刻石

かいつうほうやどうこくせき
     

隷書16行、1行は5字から11字で不揃い。この刻石は摩崖刻で、もと陝西褒城の石門北二百数十メートルの位置にあったが、1970年代に褒河ダムの建設に伴い、水没から免れるため、「石門頌」など他の重要な摩崖刻17品とともに崖よりはずされ、漢中博物館に移置された。
その書は古樸で篆書の筆意をのこし、清末碑学の大家・康有為(1858~1927)は「樸茂雄渾、秦相李斯の筆意を得たり」と評している。いわゆる古隷の書である。

                                           
作品名開通褒斜道刻石
ふりがなかいつうほうやどうこくせき
作者不詳
国名中国
制作年後漢時代 永平9年(66)刻
寸法130.8×263.2cm
目録番号拓整ー0040

隷書16行、1行は5字から11字で不揃い。この刻石は摩崖刻で、もと陝西褒城の石門北二百数十メートルの位置にあったが、1970年代に褒河ダムの建設に伴い、水没から免れるため、「石門頌」など他の重要な摩崖刻17品とともに崖よりはずされ、漢中博物館に移置された。
その書は古樸で篆書の筆意をのこし、清末碑学の大家・康有為(1858~1927)は「樸茂雄渾、秦相李斯の筆意を得たり」と評している。いわゆる古隷の書である。

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