馮媛(?~前6)は、漢の元帝(前74~前33)の側室として後の中山孝王(?~前8年)を生んだ人物です。元帝に深く寵愛され、同じく側室であった傅昭儀(前1世紀~前2年)とは1、2を争う程でした。あるとき、元帝が檻で猛獣を闘わせ、それを見物していました。周りには後宮の女性たちが同席していましたが、突然熊が檻を乗り越えて元帝のところへよじ登ろうとしました。傅昭儀はじめ後宮の女性たちは驚き恐れてみな逃げ出しましたが、一人馮媛だけは進み出て、熊にむかって立ちはだかります。熊はすぐに護衛に打ち殺されて事なきを得ました。元帝は馮媛になぜ恐れず立ち向かったのかを問いました。馮媛は、「猛獣は人を捕まえれば立ち止まるものです。私は熊が陛下に近づくのを恐れたのです」と答えました。それを聞いた元帝は一層馮媛を寵愛し、傅昭儀たちは逃げ出したことを恥じたのでした。この故事は、勇気と愛君の鑑として用いられています。
【参考文献】
清朝の美人画~第6回特別企画展展示品図録~
作品名 | 馮媛当熊図 |
ふりがな | ふうえんとうゆうず |
作者 | 陳崇光 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 |
寸法 | 138.3×34.5cm |
目録番号 | 4a-3273 |
馮媛(?~前6)は、漢の元帝(前74~前33)の側室として後の中山孝王(?~前8年)を生んだ人物です。元帝に深く寵愛され、同じく側室であった傅昭儀(前1世紀~前2年)とは1、2を争う程でした。あるとき、元帝が檻で猛獣を闘わせ、それを見物していました。周りには後宮の女性たちが同席していましたが、突然熊が檻を乗り越えて元帝のところへよじ登ろうとしました。傅昭儀はじめ後宮の女性たちは驚き恐れてみな逃げ出しましたが、一人馮媛だけは進み出て、熊にむかって立ちはだかります。熊はすぐに護衛に打ち殺されて事なきを得ました。元帝は馮媛になぜ恐れず立ち向かったのかを問いました。馮媛は、「猛獣は人を捕まえれば立ち止まるものです。私は熊が陛下に近づくのを恐れたのです」と答えました。それを聞いた元帝は一層馮媛を寵愛し、傅昭儀たちは逃げ出したことを恥じたのでした。この故事は、勇気と愛君の鑑として用いられています。
【参考文献】
清朝の美人画~第6回特別企画展展示品図録~