京兆画眉図

けいちょうがびず
     
4a-1071部分

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4a-1071落款

款記

「京兆画眉」とは、京兆尹(けいちょういん)という官職にあった夫が、妻の眉を描いたことによる故事である。その由来は、中国の『漢書(かんじょ)』中にある張敞(ちょうしょう)の伝によるもの。「画眉図」は、当時の画家が好んで描いた画題であり、作例も多い。
徐楨(1841~1915)は、字は克生といい、江蘇省呉江の人。王礼の入室の弟子。徐祥とともに「二徐」と並称された。

                                               
作品名京兆画眉図
ふりがなけいちょうがびず
作者徐楨
国名中国
制作年清時代後期 光緒5年(1879)
寸法111.3×43.5cm
目録番号4a-1071
釈文京兆画眉図 己卯冬日為 逸樵仁兄先生法家雅正 幹如弟徐楨画
4a-1071部分

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4a-1071落款

款記

「京兆画眉」とは、京兆尹(けいちょういん)という官職にあった夫が、妻の眉を描いたことによる故事である。その由来は、中国の『漢書(かんじょ)』中にある張敞(ちょうしょう)の伝によるもの。「画眉図」は、当時の画家が好んで描いた画題であり、作例も多い。
徐楨(1841~1915)は、字は克生といい、江蘇省呉江の人。王礼の入室の弟子。徐祥とともに「二徐」と並称された。

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