「京兆画眉」とは、京兆尹(けいちょういん)という官職にあった夫が、妻の眉を描いたことによる故事である。その由来は、中国の『漢書(かんじょ)』中にある張敞(ちょうしょう)の伝によるもの。「画眉図」は、当時の画家が好んで描いた画題であり、作例も多い。
徐楨(1841~1915)は、字は克生といい、江蘇省呉江の人。王礼の入室の弟子。徐祥とともに「二徐」と並称された。
作品名 | 京兆画眉図 |
ふりがな | けいちょうがびず |
作者 | 徐楨 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 光緒5年(1879) |
寸法 | 111.3×43.5cm |
目録番号 | 4a-1071 |
釈文 | 京兆画眉図 己卯冬日為 逸樵仁兄先生法家雅正 幹如弟徐楨画 |
「京兆画眉」とは、京兆尹(けいちょういん)という官職にあった夫が、妻の眉を描いたことによる故事である。その由来は、中国の『漢書(かんじょ)』中にある張敞(ちょうしょう)の伝によるもの。「画眉図」は、当時の画家が好んで描いた画題であり、作例も多い。
徐楨(1841~1915)は、字は克生といい、江蘇省呉江の人。王礼の入室の弟子。徐祥とともに「二徐」と並称された。