俵の藤太

たわらのとうた
     

昔々、俵 藤太という勇敢な武士がいた。ある日、冒険を求めて美しい湖から流れ出る長い橋に来ると、20フィート(約6m)もある大蛇が横たわっていた。しかし彼は勇敢にもそれを踏み越えて進んでいく。すると大蛇は小人になってひざまずき、湖の底に住む者であることを名乗り、向こうの山の頂に住む百足を退治して欲しいと依頼する。藤太が矢を放ち百足を退治すると、小人からたくさんの贈り物が届いた。贈り物は、釣り鐘、すべての敵を倒す剣、すべての矢を防ぐ甲冑、尽きることのない巻絹、どんなに食べてもなくならない米俵である。その中、鐘は先祖からの寺に吊るした。米俵の贈り物から、藤太は「My Lord Bag-O`-RICE」と呼ばれ、幸せに暮らした。

この物語は、『太平記』巻十五「三井寺合戦」、滝沢馬琴『昔語質屋倉』巻之二第五「俵藤太龍宮入の弓袋の上」を素材としている。田嶋一夫氏によれば、訳者のチェンバレンは、両書のほか、御伽草子『俵藤太物語』を典拠に、独自の解釈を交えながら本書を著したとする。

チェンバレンがこの物語を英訳し「日本昔噺」に加えた理由は不詳であるが、表紙裏や挿絵には美しい近江八景が描かれており、もしかすれば近江八景の美しさに魅了されたからかもしれない。しかしながら表紙裏を見ると、・・・が本来とは左右対称の位置に描かれてしまっている。いずれせよ、近江八景の美しい景色が、19世紀後半には既に外国の人々の目に触れていたという事実を、我々は誇りに思いたい。

なお当館本は二冊あり、裏表紙を見ると、明治21年(1888)と明治31年(1898)とにそれぞれ出版されたことが分かり、刷られた色も変更が生じている。

                                           
作品名俵の藤太
ふりがなたわらのとうた
作者B・H・Chamberlain/画:鈴木華邨
国名日本
制作年明治20年(1887)
寸法15.1×9.8cm
目録番号TIRI-0016-1

昔々、俵 藤太という勇敢な武士がいた。ある日、冒険を求めて美しい湖から流れ出る長い橋に来ると、20フィート(約6m)もある大蛇が横たわっていた。しかし彼は勇敢にもそれを踏み越えて進んでいく。すると大蛇は小人になってひざまずき、湖の底に住む者であることを名乗り、向こうの山の頂に住む百足を退治して欲しいと依頼する。藤太が矢を放ち百足を退治すると、小人からたくさんの贈り物が届いた。贈り物は、釣り鐘、すべての敵を倒す剣、すべての矢を防ぐ甲冑、尽きることのない巻絹、どんなに食べてもなくならない米俵である。その中、鐘は先祖からの寺に吊るした。米俵の贈り物から、藤太は「My Lord Bag-O`-RICE」と呼ばれ、幸せに暮らした。

この物語は、『太平記』巻十五「三井寺合戦」、滝沢馬琴『昔語質屋倉』巻之二第五「俵藤太龍宮入の弓袋の上」を素材としている。田嶋一夫氏によれば、訳者のチェンバレンは、両書のほか、御伽草子『俵藤太物語』を典拠に、独自の解釈を交えながら本書を著したとする。

チェンバレンがこの物語を英訳し「日本昔噺」に加えた理由は不詳であるが、表紙裏や挿絵には美しい近江八景が描かれており、もしかすれば近江八景の美しさに魅了されたからかもしれない。しかしながら表紙裏を見ると、・・・が本来とは左右対称の位置に描かれてしまっている。いずれせよ、近江八景の美しい景色が、19世紀後半には既に外国の人々の目に触れていたという事実を、我々は誇りに思いたい。

なお当館本は二冊あり、裏表紙を見ると、明治21年(1888)と明治31年(1898)とにそれぞれ出版されたことが分かり、刷られた色も変更が生じている。

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