潘祖蔭(1830~1890)は清末政府高官の家系に生まれ、自らも23歳で科挙に及第した秀才です。後には重要な大臣職を歴任し、不正を行う官吏には厳しく難渋する市民には慈愛をもって接したため、多くの市民に慕われました。一方「金石書画」の収蔵が多く、同年の翁同龢(1830~1904)や年下の呉大澂(1835~1902)、胡澍(1825~1872)や趙之謙(1829~1884)・王懿栄(1845~1900)などとの交流も盛んでした。
書風はやや地味な印象がありますが、右上がりの運筆は純然たる帖学書法の基礎がはっきりと表れ、伸びやかな筆致は心地よささえ感じられます。潘祖蔭は大字の楷書にも優れ、在世当時から紫禁城宮中の要所に飾られていました。これは宮中で彼の書が破格の扱いであったことを示しています。(漢字部 資料紹介 2011年10月号)
作品名 | 行書八言対聯 |
ふりがな | ぎょうしょはちごんついれん |
作者 | 潘祖蔭 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代後期 |
寸法 | 各164.2×38.0cm |
目録番号 | 4A-1425 |
釈文 | 子澂賢弟大人属 和気所含万花生歯 福祚之聚大樹百根 潘祖蔭 |
潘祖蔭(1830~1890)は清末政府高官の家系に生まれ、自らも23歳で科挙に及第した秀才です。後には重要な大臣職を歴任し、不正を行う官吏には厳しく難渋する市民には慈愛をもって接したため、多くの市民に慕われました。一方「金石書画」の収蔵が多く、同年の翁同龢(1830~1904)や年下の呉大澂(1835~1902)、胡澍(1825~1872)や趙之謙(1829~1884)・王懿栄(1845~1900)などとの交流も盛んでした。
書風はやや地味な印象がありますが、右上がりの運筆は純然たる帖学書法の基礎がはっきりと表れ、伸びやかな筆致は心地よささえ感じられます。潘祖蔭は大字の楷書にも優れ、在世当時から紫禁城宮中の要所に飾られていました。これは宮中で彼の書が破格の扱いであったことを示しています。(漢字部 資料紹介 2011年10月号)