大字麻姑仙壇記

だいじまこせんだんき
     

顔真卿63歳時の作品。後漢時代の仙女・麻姑についての伝説、ならびに、修行の地と伝えられる麻姑山の歴史について述べたもの。麻姑は中国の書物『神仙伝』に記される仙人。それに拠ると、麻姑は18歳の美しい女性であり、髪を頭頂部で結い、錦の美しい衣を身に着け、目は輝きを放ち、爪は鳥の爪のように長いとある。

「麻姑仙壇記」には大字・中字・小字の3種があるが、観峰館は大字本を2点収蔵している。本作には、大字本を愛蔵した何紹基(1799~1873)道光22年(1842)の跋が刻されている。

何紹基跋文1

何紹基跋文2

 

跋文には、概ね次のような意味が書かれている。

[現代語訳]
顔真卿の「麻姑仙壇記」は、世間ではわずかに小字本が伝わっている。その大字本は宋時代より後に見ることがない。石碑や青銅器について述べている明時代の都穆によって書かれた『金薤琳瑯』では、落雷によって焼失してしまったと言っている。拓本は少ししか残っておらず、鳳凰を見るかのごとく珍しいものである。

私は昔、この宋時代の拓本を蘇州で手に入れた。これはまさしく王士禎(1634~1711)と王澍(1668~1739?)が見たという拓本だろう。長い期間、あらゆるところを流転した拓本だった。それは光り輝いているようで、また素朴で厚みがある書だ。まさにあらゆる顔真卿の石碑の頂点に位置するものである。

黄雨生はこの帖を一目見て素晴らしい宝とし、収蔵していた。黄雨生は息子の瀛石に命じて、これを石に刻させた。瀛石は年少時より顔真卿の書を善く学んでおり、私と同じような志を持った人物であった。

黄雨生と瀛石の親子は数カ月で刻し終えた。多くの素晴らしい拓本が作られたので、長い時間が経っても盛んに用いられているようだ。

このことを喜び記しておく。道光22年(1842)秋、道州(現在の湖南省永州市一帯)の何紹基が謹んで跋を書く。

 

また、跋文末尾には、本作の旧蔵者である清時代末期の官僚・有泰(1844~1910)の印「夢琴」「卓特有泰」が捺されている。

有泰の印「夢琴」「卓特有泰」

                                           
作品名大字麻姑仙壇記
ふりがなだいじまこせんだんき
作者顔真卿
国名中国
制作年唐時代 大暦6年(771)刻
寸法29.0×16.0cm
目録番号帖ー単ー021

顔真卿63歳時の作品。後漢時代の仙女・麻姑についての伝説、ならびに、修行の地と伝えられる麻姑山の歴史について述べたもの。麻姑は中国の書物『神仙伝』に記される仙人。それに拠ると、麻姑は18歳の美しい女性であり、髪を頭頂部で結い、錦の美しい衣を身に着け、目は輝きを放ち、爪は鳥の爪のように長いとある。

「麻姑仙壇記」には大字・中字・小字の3種があるが、観峰館は大字本を2点収蔵している。本作には、大字本を愛蔵した何紹基(1799~1873)道光22年(1842)の跋が刻されている。

何紹基跋文1

何紹基跋文2

 

跋文には、概ね次のような意味が書かれている。

[現代語訳]
顔真卿の「麻姑仙壇記」は、世間ではわずかに小字本が伝わっている。その大字本は宋時代より後に見ることがない。石碑や青銅器について述べている明時代の都穆によって書かれた『金薤琳瑯』では、落雷によって焼失してしまったと言っている。拓本は少ししか残っておらず、鳳凰を見るかのごとく珍しいものである。

私は昔、この宋時代の拓本を蘇州で手に入れた。これはまさしく王士禎(1634~1711)と王澍(1668~1739?)が見たという拓本だろう。長い期間、あらゆるところを流転した拓本だった。それは光り輝いているようで、また素朴で厚みがある書だ。まさにあらゆる顔真卿の石碑の頂点に位置するものである。

黄雨生はこの帖を一目見て素晴らしい宝とし、収蔵していた。黄雨生は息子の瀛石に命じて、これを石に刻させた。瀛石は年少時より顔真卿の書を善く学んでおり、私と同じような志を持った人物であった。

黄雨生と瀛石の親子は数カ月で刻し終えた。多くの素晴らしい拓本が作られたので、長い時間が経っても盛んに用いられているようだ。

このことを喜び記しておく。道光22年(1842)秋、道州(現在の湖南省永州市一帯)の何紹基が謹んで跋を書く。

 

また、跋文末尾には、本作の旧蔵者である清時代末期の官僚・有泰(1844~1910)の印「夢琴」「卓特有泰」が捺されている。

有泰の印「夢琴」「卓特有泰」

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