清時代中期の官僚であった査礼(1714?~1783)が、子の査淳(1734~?)に書き与えた詩稿。乾隆42年(1777)頃の揮毫と考えられる。
査礼の死後に出版された詩文集『銅鼓書堂遺稿』と本作に詩文の異同があることから、本作は作詩当初の姿を留める自筆の詩稿であり、もっぱら子の査淳が私蔵することを目的として揮毫された、非常にプライベートな性格のものと考えられる。
【参考文献】
瀨川敬也「査礼筆「家珍墨宝」書冊」『観峰館紀要』第12号、公益財団法人日本習字教育財団観峰館、2017年
清時代中期の官僚であった査礼(1714?~1783)が、子の査淳(1734~?)に書き与えた詩稿。乾隆42年(1777)頃の揮毫と考えられる。
査礼の死後に出版された詩文集『銅鼓書堂遺稿』と本作に詩文の異同があることから、本作は作詩当初の姿を留める自筆の詩稿であり、もっぱら子の査淳が私蔵することを目的として揮毫された、非常にプライベートな性格のものと考えられる。
【参考文献】
瀨川敬也「査礼筆「家珍墨宝」書冊」『観峰館紀要』第12号、公益財団法人日本習字教育財団観峰館、2017年
作品名 | 家珍墨宝 |
ふりがな | かちんぼくほう |
作者 | 査礼 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代中期 乾隆42年(1777)頃 |
寸法 | 17.5×20.5cm |
目録番号 | 書冊-B-004 |
清時代中期の官僚であった査礼(1714?~1783)が、子の査淳(1734~?)に書き与えた詩稿。乾隆42年(1777)頃の揮毫と考えられる。
査礼の死後に出版された詩文集『銅鼓書堂遺稿』と本作に詩文の異同があることから、本作は作詩当初の姿を留める自筆の詩稿であり、もっぱら子の査淳が私蔵することを目的として揮毫された、非常にプライベートな性格のものと考えられる。
【参考文献】
瀨川敬也「査礼筆「家珍墨宝」書冊」『観峰館紀要』第12号、公益財団法人日本習字教育財団観峰館、2017年