屠倬(1781~1828)、字は孟昭、号を琴鄔といいます。晚年の号は潜園老人。銭塘(今の杭州)の人。嘉慶13年(1808)の進士、翰林院庶吉士となりました。のち江蘇儀徴県の知県に任命され、在任期間中に当地の経済を発展させた功績があります。道光元年(1821)に江西袁州府の知府となりましたが病により辞職します。屠倬は幼少から勤勉で、学を好んで詩にすぐれ、洒脱な詩風で知られました。また書画、金石、篆刻にも通じ、書は篆、楷、隷、行すべて絶妙と評され、絵は山水、蘭竹、花卉もよくしました。
この隷書は、桂馥(1736~1805)や篆刻界の巨匠・鄧石如(1743~1805)の書風に通じ、清時代中期ころの作風がうかがえます。力強い運筆が特徴です。
作品名 | 隷書八言対聯 |
ふりがな | れいしょはちごんついれん |
作者 | 屠倬 |
国名 | 中国 |
制作年 | 清時代中~後期 |
寸法 | 各161.0×32.0cm |
目録番号 | 4A-2221 |
釈文 | 得梅之清与松俱古 非書不〓惟酒為涯 右幅款記:書奉 春泉先生法鍳 左幅款記:銭塘愚弟屠倬 |
屠倬(1781~1828)、字は孟昭、号を琴鄔といいます。晚年の号は潜園老人。銭塘(今の杭州)の人。嘉慶13年(1808)の進士、翰林院庶吉士となりました。のち江蘇儀徴県の知県に任命され、在任期間中に当地の経済を発展させた功績があります。道光元年(1821)に江西袁州府の知府となりましたが病により辞職します。屠倬は幼少から勤勉で、学を好んで詩にすぐれ、洒脱な詩風で知られました。また書画、金石、篆刻にも通じ、書は篆、楷、隷、行すべて絶妙と評され、絵は山水、蘭竹、花卉もよくしました。
この隷書は、桂馥(1736~1805)や篆刻界の巨匠・鄧石如(1743~1805)の書風に通じ、清時代中期ころの作風がうかがえます。力強い運筆が特徴です。