挙案斉眉図

きょあんさいびず
     

後漢の時代、梁鴻(りょうこう・生卒年不詳)という貧しいながらも博学で高潔な人物がいました。みなその人柄を慕い、自分の娘を嫁がせたいと考えていましたが、梁鴻は受け入れませんでした。その頃、同郷に孟光(もうこう)という容姿の劣った女性がいました。いつまでも嫁ごうとしないので両親がたずねると、「梁鴻のような賢人がいい」といいます。それを聞いた梁鴻は孟光を妻に娶ります。ややあって、梁鴻が作った文章が皇帝の怒りを買い、二人は名を伏せて有力者の使用人として軒先に住み込みました。それでも孟光は、夫が帰ると食事を整え、膳(案)を眉の高さまで挙げて(斉眉)うやうやしく差し出すのでした。それを見た有力者は、この使用人夫婦はただ者ではないと感じ、二人を母屋に住まわせました。この故事から、「挙案斉眉(きょあんさいび)」は夫婦が互いに礼儀を尽して尊敬しあう意味で用いられています。

                                               
作品名挙案斉眉図
ふりがなきょあんさいびず
作者沈心海
国名中国
制作年民国14年(1925)
寸法115.0×53.1cm
目録番号4b-0044
釈文挙案斉眉 乙丑六月沈心海写

後漢の時代、梁鴻(りょうこう・生卒年不詳)という貧しいながらも博学で高潔な人物がいました。みなその人柄を慕い、自分の娘を嫁がせたいと考えていましたが、梁鴻は受け入れませんでした。その頃、同郷に孟光(もうこう)という容姿の劣った女性がいました。いつまでも嫁ごうとしないので両親がたずねると、「梁鴻のような賢人がいい」といいます。それを聞いた梁鴻は孟光を妻に娶ります。ややあって、梁鴻が作った文章が皇帝の怒りを買い、二人は名を伏せて有力者の使用人として軒先に住み込みました。それでも孟光は、夫が帰ると食事を整え、膳(案)を眉の高さまで挙げて(斉眉)うやうやしく差し出すのでした。それを見た有力者は、この使用人夫婦はただ者ではないと感じ、二人を母屋に住まわせました。この故事から、「挙案斉眉(きょあんさいび)」は夫婦が互いに礼儀を尽して尊敬しあう意味で用いられています。

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